私はたびたび処女《むすめ》をみた……
しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云ひ出しにくいからといふのでもない
云つて却《かへ》つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまひであつたのだ。
二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……
正 午
丸ビル風景
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
春日狂想
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業《ごふ》(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
2
奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。
テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばくかんさなだ》を敬虔《けいけん》に編み――
まるでこれでは、玩具《おもちや》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇《あ》へば、につこり致し、
飴売爺々《あめうりぢぢい》と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなつたら、日蔭に這入《はひ》り、
そこで地面や草木を見直す。
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