出来るだけの空間を持っている。
 私は日本人の作品において空の複雑な調子の階段とその大きさをまだ一度も感じた事がない。海の広さ遠さ、この世の有様を感じる事が出来ない。
 しかしながら、画品と心の高さ、高尚な気位いちょっとした筆触の面白さ、部分の小味等においては日本人はかなりうまい仕事の出来る人種である。
 日本人の油絵の共通した欠点は、絵の心でなく、絵の組織と古格と伝統の欠乏であるらしいという事は確かである。
 西洋人の求める処のものは日本人の多少持てあましている処のものであり、日本人の求めなくてはならないものは西洋人が持て余している処のものであるかも知れない。
 しかしながら前に述べた如く、西洋の場合では、あらゆる伝統と絵の組織の下敷から這出《はいだ》す事が肝要であり、知り悉《つく》した事を忘却せんとする処に新技法の必然的な意味が存在するのであるけれども、日本では忘却すべき何物も持っていないのであった。最初からすでに忘却そのものであり、単純そのものであり、省略そのものであったのである。
 それから、日本にはあらゆる伝統と古格と絵画の様式を研究すべきミュゼーがない事も頗る迷惑なる事である。そしてこの世界のどちらを眺めてもその油絵の伝統を生み出さしめた処の都会もなければ建築もなく生活の名残りすらないのである。ただ見渡す限りは上海《シャンハイ》、シンガポール、バラックの連続とアメリカ風位いの雰囲気《ふんいき》である。
 もし時代の如何なる影響があるにかかわらず、油絵というものに一生をゆだねる覚悟を有《も》つ以上は、先ず画家として勉強の最も初めにおいて西洋の伝統と古格とその起る処の生活に触れなければいけないと思う。そして絵画の組織を極《き》め基礎を固めなければならぬ。
 私は最初に絵画の組織と基礎的工事について述べたが、それ以上の基礎の修業を怠る事は出来ないと思う。
 そして新らしき心と、新らしい技法とをその正確にして深き技法の修練の上に建てなければ油絵という技法は萎《しな》びて行くであろう。
 国粋とか、日本的とか、国民性とかいうべきものは油絵として確かな組織の上に現れる処の求めずして起る処の新らしき日本的であり、個性であり国民性でなくては駄目である。
 油絵具とカンヴァスとを用いた処の、一夜のうちに考案せる日本みやげ的油絵は生長すべき命の玉を決して持っていないであろう。それらは、日本的といえ、古き日本、消滅せる日本のおもかげを油絵具を以て現した処の亡霊に過ぎない。
 要するに、日本人としての新らしき油絵の技法は充分なる基礎的工事の上に盛られなければならないと思う。

 体力、神経、本能、表現力、等について
 私は如何に近代の絵画がその形において驚くべき省略がなされ、自然に対して反逆しつつあるかの如き様子にさえ見えるまでの変形が企てられ、気随気儘《きずいきまま》の画家の心が遠慮なく画面に行われているとはいえども、その根底をなす処には必ず伝統の積み重ねられたる古き心が隠され、その心と共に確実なる写実にその基礎を置いているものである事を述べたつもりである。
 日本は洋画の発祥の地ではなかったので、つい勢いその根が如何なる栄養を吸いつつ何の要求から現代となったか、即ち近代絵画の花が咲き崩《くず》れ出したかを眺める事が出来難い不便な位置にあるために、ついその花だけを眺め、何の支度《したく》もなく花だけを模造しようとする傾向があり、また、若き壮なる年配にあっては特にそれを先ず企てようとする。だがもともと、切り花の生命はどうせ幾日間の間である。
 日本洋画壇の今までの傾向は大体が輸入時代だからやむをえない道程ではあったが、その切花の見本は無数の花の中のたった一つの種類に過ぎないものである場合でさえも、その一種の花が当分のうち全日本の浦々にまで流感の如く速かに発生するのである。
 だが根がないために、次の切花の到来を待ちあぐむ。勿論花の見本だけでも心を刺戟《しげき》し開発する役には立つ、しかしながら、根を本土におろすべき芸術はその根も共に知る事なき限り本当の発生と進歩は困難である。
 さて、近代の日本を刺戟した処の切花の元祖、フランスに起った処の印象派以後の素晴らしい種類の流派というものは元来画家が作らんがために製造した処の流派ではなく、やむにやまない情慾の発作によって、あるいは素晴らしい旧時代の退屈からの要求によってあらゆる絵画が動き出したのではないかとさえ私は考える。
 人間が自然に各様式の風貌《ふうぼう》を以て生れては来るのであるが、便宜上馬に類する者、狸《たぬき》に類するもの狐《きつね》に類するものを集めて、狸面、狐面と区別すると、説明がしやすいからだろうと思う。自分自身もつい他人との混雑を避けて、つい似たもの同志がより集って後期印象派とか何々と称するに到るものかも知れない。
 中には俺《お》れは狐だとは思っていないのに狐の部に入れられて内心困っている者もないとはいえないだろう。
 要するに画家が絵画に対する本当の心の動きは、それは本能の動きであり、何の理由もなく、ただ次から次へと、貪《むさぼ》るが如く新らしいものが描きたいというに過ぎない。強い制作力ある画家ほど、飽きやすく、貪慾《どんよく》にして我儘《わがまま》である。
 古人はよく九星とかいうものによって人の性格を定めて見る事をする。私はよく知らないが、九紫《きゅうし》はどんな性格であり五黄《ごおう》の寅歳《とらどし》の男女は如何に意地強きかといったりする。その星の強さというものに似たものを、私は画家の性格のうちに見る。本当の自個をよく生かす画家の星の強さは他の凡百の弱き画家の上に作用して皆|悉《ことごと》く自分と同じ真似《まね》をさせてしまう。自分の流感を他人の全部へ感染させるが如きものであり、感染するものこそ弱き星の性格者であり自ら好んで感染してしまうのである。
 性慾の本能が常に同じものを嫌い、常に新らしきものを要求し、それを得てまた更に更新してその終る処を知らず、遂《つい》に死を賭《と》するに至るといった調子と画家の心とは殆《ほと》んど同じ形をとっている。
 誰れが何んといっても、何が何んであろうとも、流派が何で、シュールがどうなってもいい。常に自分の慾情が猛烈でさえあればそれが万事であり、その星の強さが、世界を征服するといった具合になるのだと私は思っている。そしてそれが画家の本音でもあると考える。さて最後に鋭き表現力だ。
 殊に近代の画家は、先生のいわゆる師風を継承する必要もなく、狩野元信《かのうもとのぶ》の元の一字を頂戴《ちょうだい》する必要もない。師風である処の印象派を今日廃業したといって直ちに破門をされる心配もない。もし破門されれば速かに出て行けばそれでいい。
 主人ゆずりの娘を頂戴したくなければ嫌だといって差支《さしつか》えない時代である。他の世界はどうか知らないが絵画の世界ではそうである。万事が許されているのだ。芸術の世界には絶対の自由が許されているはずだ。
 従って、一度この国に住めば終生絵画の足は洗えない。カンヴァスの上だけの自由は普通人の夢にも与えられていない天地なのである。
 であるのに、人間は、永久に縛られていたいものである。あまり永く先祖伝来の何物かで縛りつづけられて来たわれわれは、さア思う存分の自由を与えてやるから足を延ばせといわれても逆に不安を感じ水に溺《おぼ》れんとするものが、何物か例えば棒切れや藁屑《わらくず》でさえも握りしめるといった風に、面喰《めんくら》って手近の何物かにしがみつくものである。
 昔は一人の親方、先生、師匠に一生を捧《ささ》げたが、今は一人の先生を離れて明るい世界へ泳ぎ出した。ところで自由な波を一人明らかに乗り切る天才は地球上のあらゆる画家を知らぬ間に自分一人にしがみつかせている事になったりする。
 セザンヌという人は知らぬ間にどれだけ多くの弟子を集めたか、昔の弟子は師弟の関係は重大なる関係だったが今は知らぬ間に大勢の親分であり、知らぬ間に親分はまた捨てられてもいたりする。
 近代の科学は地球を縮めてしまったが故に、一人の天才の仕事は直ちに全世界に紹介されやすく、同時に世界の画家が自由に師と定め、また師を去り次の天才へ走るという事も近代の出来事である。ともかくも弱きものが強きものにしがみつく事は、やむをえないけれども、あらゆるものを速《すみや》かに卒業して、自分自身の力によって泳ぎ得るものが近代の技法を感得するものだろう。

     9 自然を前に、自然を背後に

 最初の一筆から最後の一筆に至るまで自然の前で行う処の絵画の技法は、印象派初期の人たちによって初められたものであると私は記憶する。
 それは、あまりに人間が安易な想像にのみよって製作していると常にそれが自然とのよき連関によって成立ってさえいればいいが、ついややもすると、単なる想像によって画家は知っているだけの同じ事を同じ色彩と同じ手段によって何回でもくり返す傾向を生じてくる。従って何千人の画家が悉《ことごと》く気不症《きぶしょう》な仕事をつづけてしまうがために、画道は衰弱しつづけ世界は眠気《ねむけ》を催すに至る。
 その時あまりの世の腐り方と眠む気に腹を立てたる者どもは、つい、この際人間のケチな想像力を離れてもとの自然の力へ帰りたい、もとの野獣となりたいと叫ぶ。ここでその反動として起ったのが最後まで自然の前で仕事をする事にあったと考える。その仕事は全く近代絵画への最初の方向転換であり、大成功だったと思う。これによって十八、九世紀に充満していた腐り切った陰鬱《いんうつ》の空気を完全に払い去った事は近代フランス印象派画家、マネ、モネ、ピサロ等の一団の恩恵であらねばならぬ。
 自然の前で仕事する方法は、私の画道の修業時代もまたこの勢力、この方法の最盛期でもあったために、私は最後まで自然の前に立つ技法を学んだ。従って自然なしでは柱なき家でありテレスコープなき潜航艇でもある。
 さて自然の前でする技法の特質は、想像にのみよるものが陥りやすい処のマンネリズムから飛び離れ得る事であり、また、画家が自然から直接パレットの上に絵具を調合すると、彼は不知の間に一つの不知の調子と色彩をカンヴァスの上へ現し得る事である。
 彼と、筆と、絵具と、カンヴァスの間に、も一つ、何か彼の知らない一つの不思議な力が常に働いている事である。その力が絵を彼と共に完成して行き、彼にもわからぬ力を画面に与える。
 彼が自然を背にして勝手に色彩を弄《もてあそ》ぶ時この不思議な力は働かない。
 そんな訳で自然の前でした仕事を、もし自宅で空だけの一部を記憶によって描き直そうとする時、如何にパレットの上で絵具を交ぜ合せて見ても、再び自然の前で一秒間に作ったはずのその色と調子を出す事が出来ないのである。それを無理から直して行くうちに空は妙に沈んで色彩は死んで行く。全く直接の写実というものが絵画を生かし力づけて行く事は驚くべきものがある。
 しかしながら、写実は万事ではない。これによって最も新鮮な世界はもたらされたが、この方法は全世界に行き渡ってしまった今日、さて、その次にはこの方法が大体、一つの反動によって起った仕事であるがために、要するにその欠陥も発見されて来た。それはあまりに自然の前に立ち、その命令にのみよって一筆を動《うごか》す事の習慣から、見ているものだけは描き得るが、実物を離れては画家は何一つとして描き得ない。自然を離れては画家は頭へ形と色と調子の記憶力を完全に失ってしまった事である。それと共に、心の働きを極端に自然物の陰へ追い込んでしまったものである。従ってここに心の動きの制限された処の、ただ形と光線と色彩との何の奇もなき風景の切り取り画と人物のスケッチ類の多くが、再び揃《そろ》えの衣裳《いしょう》によってこの世に並び出したものである。

 元来如何なる芸術品であっても制作というものは、昔から人を避けて一室に籠居《ろうきょ》し、専念その仕事に没頭する傾向あるべきものだが、近代の外光派
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