ころの毛唐人中の毛唐である。
[#地付き](「美術新論」昭和五年一月)
絵画き[#「絵画き」はママ]の日記
油絵描きの日常生活というものは、それが順調であればあるほど実に単調きわまるものである。それは第一、生活が貧弱でなっていないからそれ以上何か面白いことがやってみたくとも出来ないことがその主な原因かも知れない。まずその日その日辛うじて無事に絵を描いて暮すことが出来ていれば、実にそれだけで、めでたき限りの順調といわねばならないのである。したがってどうも絵描きの日記などに大そう面白いというものはどうもあまりないようである。
彼は起きた、モデルが来た、絵を描いた、仕上がった、あるいはてこずった、怒った、椅子を投げた、妻君が弱った、散歩してライスカレーを食べて機嫌がなおった、寝た、月末が来た、困った、何とかした、という位が私の毎日の日記かも知れない。
こんなことが一生涯続くのかと思うと、あまり面白いものとは思えない、したがって日記などつける気にもなれない。がしかしこの単調な順序が一歩間違うともう絵が一枚も描けなくなるのである。
例えば妻子家族の病気とか、あるいは恋愛関係、それから起こる喧嘩口論や悲劇やうるさい雑用が引きつづきどしどし起ころうものなら絵描きは休職だ。その代り日記は面白くなるだろう。
文士などはその点結構だと思う。なるべく複雑でうるさい恋愛関係でも持ち上がってややこしければややこしいだけ多く神経が動き出し、やがては何か書けることともなり稿料ともなるわけかと思う。
ところで絵描きはこんな場合、神経だけは文士と同じくらい昂ぶるけれども、その神経はかえって絵の邪魔をする神経であって、まったく作画のためには何の役にも立たないものであるから厄介だ。
ロダンは賢い芸術家だから、人は二つの熱情に仕えることは出来ないといって、なるべく結構な問題が向こうから招待しても平に避けているのである。私の如きうっかり者は招待されるとついその手に乗りたがる傾向があるので大いに用心している次第である。
それでまず近頃、私は辛うじて絵を描いて暮している。すなわち朝起きてそうして寝たというすこぶる平凡単調な生活を危いながらも大切に守っている。したがって日記として書き記すべき何事もない。
ところが二、三日前から絵を邪魔する要素であるところの胃病が起こった。胃病が起こると必ず夢を見る。昨夜見た阿呆らしい夢を付録としてちょっと紹介しておく。
一台の飛行機が西の空から飛んで来た。私は見ていた。それが近所の湯屋の煙突へ衝突したのだ。おやと思う瞬間、両翼はもぎれてしまって魚のような胴体がフワリフワリと中空を泳いでいるのだ。二人の飛行家がその上で狂人の如く駆けまわっているのがよく見えた。私はどうすることかと見ていると二人はパラシュートを持って飛んだのだ。一つは赤で一つは白だった。それが馬鹿に綺麗だった。そして二人とも電線に引っかかったのであった。下で見ていた群集の一人が電線はおかしいぞと叫んだ。しかし私はそれでほっと安心をして朝の九時まで寝てしまった次第である。
シュールレアリズム
シュールレアリズム的傾向ある作品に、相当の興味を私は感じますし、またキリコあたりの(もっとも本ものを見ないから大きなこともいえませんが)写真版位で見ても、かなりの不思議な新鮮さを感じることが出来ます。ことに印象派紫派等の作品の伝統を今に支えている風景画など多いわが国では、それらの傾向ある作品に接し、あるいはシュールと声を聞いただけでも退屈せる若いものにとってはうさを晴らさせるに充分な力があります。
私はどんなイズムに限らずどしどしと歓迎していいと思います。今まで日本へ到来したイズムは皆相当日本の画壇のために役立って来ています。また日本人はそれを応用することにかけては鋭い人種です。
ただ淋しいことには一度もまだ日本内地でイズムが製造されたり発生したことのないことです。どんなつまらないイズムでもパリで製造されたものは、神様の所業らしく日本へ伝わることです。世界の片田舎に住んでいるのははなはだ淋しいことです。藤田嗣治氏の画業でさえも、もしあの画風を日本内地で製造していたら、あれほどフランス人と日本人を同時に驚かしてみることは出来なかったかも知れません。それは余談ですが、何しろイズムを製造するにはまだ当分フランスパリで作ってみなければ作り甲斐も製造の致し栄えもありません。近頃の日本の広告美術家達は画家達よりもモダンの尖端に立っています。それで、シュールレアリズムなどは、もはや百貨店の店頭にまで応用されているように思えます。さてまた次のイズムの到来をお池の鯉の如く口を開いて待っていることでしょう。
眼
妙なもので、絵に熱中している時は文章が書けません。手紙でさえも葉書一枚でさえも書くのが嫌になる。結局絵をかいている間は無言でいたいというのが本当です。ところで手紙がすらすら書けたり、何かつまらない随筆を頼まれたりしてそれが多少興味を持って書くことが出来たりすることが重なってくると、絵を描く仕事が大変うとましいことと思われて来る。そしてパレットの絵具がかたまって幾週間を過ぎてしまうことさえある。
絵は眼の神経と、感覚から生まれてくる産物です。文学は主として心の働きのみによるもので、眼はただ軍艦の探海燈の如く人間の手の如く、足の如く、ただ普通の便宜上の役目をさえ掌っていればことは足りるのであります。したがって絵の仕事のみ夢中になっていると、視神経は驚くべき敏感さを増してくる。普通人には見えないところの色彩を画家は認め、感じ、線のあらゆる形相を知り、微妙にして微細なる明暗を識別し、同時に形と調子と色彩と線の大調和を感得するようなものでしょう。
それで私の経験ではあまりお喋りをし続けたり、文章を書いたりしたあとは眼の神経が多少うとくなるのを感じます。したがって絵画を構成する諸要素を発見することの鈍感さ、自然が発散するリズムを認め感じることの鈍さを感じます。
で、画家は無言でただぼんやりと常に黙って仕事をしていればそれでいいわけです。その方がまず幸福なのですが、私はどうも非常な淋しがり屋であるために絵を描かないその間は、何か喋ってみたく誰かと話をしていたく思うのです。まァ画家の性格としては多少悩み多くて不幸な方かも知れません。
写生旅行に伴ういろいろの障害
私はかつて写生旅行をして満足に絵を作って帰ったためしは一度もありません。必ずてこずるか、中途で止すか、あるいは重い荷物を引摺り廻って絵具箱の蓋もあけずに帰って来るかです。それでだんだん写生旅行に出ることが嫌になって、近頃は殆ど出なくなってしまいました。自分の画室で神経を休めて、制作する時のような落着いた調子には、どうも旅さきでは行かないものであります。
旅が嫌になる原因は随分いろいろあるので一口にはいえませんが、なぜそう落着いた気持ちになれなれないかと申しますと、これは人々によっては案外平気なことで、あるいは一向障害の数に入らないことかも知れませんが、神経やみのものにとっては例えば日本の今の旅行に関する設備等も随分西洋画を描くものにとっては、不便でうるさく出来上がっているようです。日本画は今も昔も筆一本と写生帖とさえあれば用は足りるのですが、西洋画は大きな荷物の七ツ道具を引摺り歩かねばなりません。仕事は全部野外の仕事です。したがって晴曇風雨のことも考えなければなりませんし宿屋の居心地も重大です。宿から出て題材の場所まで通う間の心づかいなどもあります。途中石に躓いても機嫌が悪くなって、一日の仕事に影響します。その位のものですから日本の宿屋の仕組みなどは、かなり気分をいらいらさせます。総体日本の宿屋はホテルでもそうですが、新婚旅行とか、実業家の遊山とか、道楽息子の芸者連れとか、避暑とか、何とかのためには至極便利に出来ていますが、絵描きの仕事のためには不便というよりはむしろ本当に調和が取れないことに出来上がっているのです。
まず旅館へ到着します。玄関の馬鹿気て大き過ぎた花瓶や松の日の出の金屏風など見ても早や気がおじけます。女中が代る代る出て来て世話を焼きます。これは結構なことですが、後の報酬のことが気にかかります。床の間の前には厳めしい「キョウソク」というて、私らは芝居の殿様が使うもの位に思っていたようなものが置かれてある。紫檀の机や卓上電話が輝いてあることもたまにはあります。
考えるとわれわれが今運んで来た荷物はまったく調和の取れないものでありまして、その不調和な荷物の中から絵具箱をゴソゴソ取り出しますと女中が何物かという目付きで眺めます。枠という乱暴な仕掛けのものを取り出してトワールを張ります。トワールもフランスの田舎の宿などで見るとなかなかいい味のものですが、日本の宿でこれを見るとまことに粗野な布としか見えません。これを持参の金槌でもってガンガンと釘を打ち出します。なかなか勇気の必要な仕事です。私はいつもこの勇気が出かかってへこんでしまいます。
不調和は部屋の中だけではありません。宿屋全体から見ても不調和です。まず右隣りの部屋には若い男女が海水着を着けてみたり外してみたりしています。左側の部屋では憎々しい男が四、五名の芸者と寝ながら花札を弄んでいます。その隣その隣と考えるとまったく悲観せずにはいられません。
総体が遊びであります。画家は仕事です。それでは憤然としてここを立ち去るとしますか、どこへ行っても大同小異です。思い切ってトワールを張って、何かいい場所を探し当てに出てみるとします。かなり神経がゆがんでしまっているので何を見ても一向つまらない風景に見えて来ます。汗だらけになって白いトワールを提げたまま舞いもどります。また大袈裟な玄関が気にかかります。また女中が眺めます、番頭が眺めます、男女の客が眺めます、気持ちは暗くなるばかりです。天候のことも考えます。滞在一週間の予定が翌日から雨と来ます。もう仕事は出来ない上に、心労は増します。私は雨の日の旅館の退屈は思っても堪らないのです。立ってみたり坐ってみたり、寝てみたり起きてみたり、いらいらして来て終いには悲しくなって腹が立って来ます。すると隣近所の人情がますます気にかかり出します。
もう一刻も猶予がなりません、描きかけの絵はぬれたまま巻きこんでしまって、取り敢えず宿屋から逃げ出します。逃げ出してからでもまだ今支払った茶代は少しケチではなかったか位のいらぬ心配までが出て来ます。
また汽車に乗ります、走っている間窓からの眺めは素敵です、素敵な場所には汽車も止まらず、人家もなく宿もありません、再び目的地へ着くとそこは相変わらぬ停車場前の情景が展開されます。またかと思うともうたまらなく帰りたくなるのです。すなわち帰りの切符を買い求めてしまうことになるのですが、その時は肩の荷の軽さを覚える次第であります。
これが外国でありますと随分の気苦労も多いですが、日本のようなこの不調和が少しもありません。宿屋と、風景と、人情と、画家の仕事と、そして食物とが随分うまい具合に調子が合って行くので画家は楽しんで毎日の仕事に夢中になれるのですが、今のような日本の状態ではちょっと望み難いことでありましょう。まだ他に多くの苦情もあるのですがこの位で止めときます。
因果の種
誰れでも同じ事かも知れないが、どうも私はどんなにちょっと[#「ちょっと」に傍点]した絵を仕上げる場合でも、必ずそれ相当の難産をする。
極く安らかに玉の様な子供を産み落したと云う例は、皆目無いのである。
その難産を通り越すか越さないかが一番の問題である。越せばとに角絵は生れる。越さない時は死産とか流産とか或は手古摺りとか云うものである。
難産が習慣となっている私にとっては、偶に軽い陣痛位いで飛び出したりすると、如何にもその作品に自信が持てないのである。情けない事である。
それでは難産で苦しんだ時の絵は必ず上等で、玉の如き子供であるかと云うに、それが決
前へ
次へ
全17ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング