こっけい》に外ならない。
 殊に近代におけるある種の描法、例えばヴラマンクの如き風のものは一気に答にまで迫る処の気合術ともいえる。先生は徒《いたず》らに気合をかけても誰れ一人としてその気に打たれるものなき時まことにまた悲しくも憐《あわ》れである。
 空腹なる先生の気合術は徒らなる努力である。先ず飯を食べてからの気合術であらねばならぬ。気合術に限らず、いつの時代にあっても、絵画の仕事は、空腹者が直ちに写実を軽蔑《けいべつ》して画室に籠《こも》ったとしたら、それは悲惨なる結果を表すであろう。先ず順序として、そっとそのまま捨てて置けばそれでいい、自ら餓死して行くにきまっている。
 要するに新らしき何物かを創造せんとするものは、それはカンヴァスの作り方でも絵の具の並べ方でも、パレットナイフの使用でも、褐色《かっしょく》の乱用でも黒の悪用でも何んでもない。それは人間の誰れよりも強い星の性格と、貪慾《どんよく》なる本能と、鋭き神経と、体力と而して最も秀《すぐ》れたる表現力を兼ね備えているものでなければならないと思う。そのどれかを欠いでいるものは、必ず多少の不運を感じるであろう。
 殊に、如何ほど、
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