死体を研究したか、大雅堂《たいがどう》はどれだけ多くの山水を巡礼して歩いたかを知らなくてはならぬ。
工房でのみ仕事する芸術家は常に驚くべき写実をその押入れの中に隠しているのだ。押入れの空《から》っぽの空想的作家こそ自ら死の道を行くものである。それはいつの時代にあっても永久に変らない一事である。
自然を前にする処の印象派風の描法は、ありのままの自然の一部を切り取り、画面に構図を作り、見たままの色彩をそのままに現して行く。絵の具は重なって行き、重なった色彩と、調子と筆触はまた次の調子と色彩と筆触によって埋められて行く。そしてまた次の日に同じ事が繰り返えされて画面の全体のリズムが整い、自然とのよろしき連関を保って画家がよしと思う時、即ち絵画は仕上がるのである。そのよし[#「よし」に傍点]と思う時が大切な時である。リズムと調子に鈍感なるものはいつまで描いていてもよしと思う時がなく、終《つい》に描き過ぎて折角の絵をなぶり殺しとする事がある。自分の絵の仕上り時を発見する事が、その画家の力量だという言葉さえあった。
従って、自然の前で仕事をなす画家は、どんな味が最後に画面に盛られるか、如何な
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