偉麗なものが出来れば幸い至極と思う。
 ところが近代における人間の自意識の発達と非常な神経の発達とは、極端に個人の心の動き方を現そうとするし、また鑑賞しようとする方向に向って来たようである。
 徹頭徹尾、個人でやる仕事は勢いその画面が小さくなって来た事である。即ち近代絵画の画面の容積は狭《せば》まって来ている事は確かである。そして小さい画面へ人間の神経をなるべく簡単にして深く鋭く表現しようとする。その結果は、自分の作品に対して如何にしても他人や書生や弟子や妻君の手を煩《わずらわ》す事が出来難いのである。一本の線、一つの筆触が近代絵画の生命となってしまっているのであるが故に。
 その結果は、近代画家位い書生や弟子を家に養わない時代も珍らしいといっていいだろう。最も近代生活は画家をしていよいよ窮迫の底へ沈めて行く傾向もあるからやむをえない事かも知れない。また近代位い書生や弟子入りする事を嫌がる時代も尠《すくな》い、それは個人の神経を生かそうとする時代精神からであるかも知れず、またその他の種々の原因があるようだが今ここにそれを述べている暇がないので省略する。とにかく弟子の必要は完全になくなっ
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