いるという絵である事は確かである。
しかしながら、銘刀は祟《たた》りをなすという事がある。それは銘刀の所有者が低能者であったからである。百人の低能者が最新の軍艦へ乗り込んだとしたら、その威力を充分我が海軍のために発揚し得るかどうか、うたがわしい。
われわれはそれがために軍艦を呪《のろ》い、銘刀を捨てる必要はない。何もかもが人間それ自身の問題ではある。素描や厳格な写実が人を殺す場合はあるかも知れないけれども、それは殺された人が弱かったためである。それ位の弱者は早いうちに殺されて置く方が自他共に幸福であるかも知れない。
しかしながら、人はなかなか容易に死に切れるものではない。画技の下敷となり半死半生の姿を以て、しかもそれに馴《な》れ切って平然と生きている処の大勢があるものである。そして形だけは整頓した処の、例えば甲冑《かっちゅう》を着けたる五月人形が飾り棚の上に坐っている次第である。かかる者を総称して近代の若い人たちはただ何んとなく、アカデミックという風の名称を捧《ささ》げているように思う。
石橋を叩《たた》いてばかりいて決して渡り得ない臆病者と石橋を叩く事ばかりに興味を覚えて渡る
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