手に置きかえて見たり、バックを無意味にぬりかえたり、不必要なものを附加したり、モデルを軽べつする事は、やがて神罰によって失明するに至るであろう。
 かくの如く忠実にして厳格なる写実によって、自分の前に立てる裸身と空間との複雑にして困難な物象を描きつづけているうちに、画家は、種々様々の技法の要素らしいものを自ら拾い、自ら感得して行く訳である。そして同時に、あらゆる形態と物象を描きこなし得るだけの力と自信をも養う事が出来るのであると、私は考える。

 初学の人はしばしばあまりにデッサンを習得し過ぎ、あるいは人体写生において写実をし過ぎると、形や技巧の事が気にかかって面白い絵が描けなくなるといった風の事をいう。
 それから、いろいろと、現代の大家たちの絵について、かなりしっかり[#「しっかり」に傍点]とした画技の熟達を見せながら、少しも人の心を刺戟《しげき》し、感動させる力のない、調子の低い様々の画を示して問う人たちを見る。
 なるほど、それはわれわれが見ても、少しも絵として迫ってくる力のない事は、全くその初学の人たちがいう通り平凡にして、かつ精神力の欠乏したしかも整頓《せいとん》だけはして
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