談|倶楽部《クラブ》ともなれば幸《さいわい》だと思う次第である。
2 絵の技法そのものについて
絵には技法が必ずある。しかしながら技法を少しも知らずにでも絵は描ける。技法の全くない絵というものは子供の絵である。それも、うんと小さな子供の絵だ。大人でも今までかつて一度も絵というものを描いた事のない人が無理矢理に絵をかかされると、ちょっと子供と同じ程度のいわゆる自由画を描く。これが本当の技法なき絵である。しかしながらその子供もやがて人心がつき初める頃には、もう智恵と慾が付いてくるので、何かの技法を心から要求するようになってくる。自分勝手な自由画では承知が出来なくなってくるらしい。でたらめでは何んとなく恥かしいのだ。
大人でも何も知らぬ人が第一回目に描いた絵は先ず技法がないが第二回目にはすでに如何にしてという方法を考えるようになる。先ず人間の智恵は技法を要求するものである。
要するに相当の智恵付いた人間の作品はすべて何かの技法によってかかれているものである。昔も今も、古いものには古いらしい、新らしいものには新らしい、それ相応の技法が備わっている。絵に限らず、あらゆる芸術あ
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