を同じ大きさにおいて一幅の中に収めてしまい、その間には雲煙、あるいは霞《かすみ》を棚引《たなび》かせて、その中間の幾十里の直接不必要な風景を抹殺《まっさつ》してしまう。観者はその雲煙のうちに幾十里を自ら忍びて、そこに地球の大きさを知るのである。従ってさような技法は、一幅の中にいろいろの物語や内容を現すに至極便利な方法である。絵巻物などが作られるのも無理のない技術である。あるいは風景の多種多様な情趣あるいは一幅の画面に四季の草花、花鳥に描くにも適している技術である。
西洋画の場合では、さように観者の想像に委《ま》かせる事はあまりしない。画家が眼に映じた地球の奥行きをそのままに表現せんとする。だからこの点では日本画の自由にして百里の先きの人情風俗までも現し得る仕事に対しては頗《すこぶ》る不便不自由なものである。
例えば風景の場合、西洋画にあっては近景に立てる樹木、家、石垣等が殆《ほと》んど画面を占領してしまい、百里の遠方は已《す》でに地平線という上の一点に集合している次第となってしまう。その遠方の人情を見ようとすれば望遠鏡の力によって漸《ようや》く発見し得る仕事である。
さように百里
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