レス着用の草履をはいた奥様と女中の点景と、仁丹と福助足袋の広告は、画面構成上少々勝手が違い過ぎはしないか。ここに一年や二年は如何にあのアッパッパと仁丹を表現すべきかについて考えた結果、落胆と、失望と、不勉強と、生活難はどしどしと攻めよせてくる。
 といった悩みはざらにある。すなわち東洋回顧を始めて立体と調子と厳格なる写形的技術をもって障子と襖とかたびらの爺さんを描いてみると、釣り鐘で提燈の風情を現す位の牛刀の味を示す。
 すなわち日本画家が現代生活相を怖れる如く西洋画家も現代生活の諸相を避けて、彼らは永久に地球のしわであるところの山水を描き、永久に人間であるところの裸体の安定を描き、常に新鮮なる食慾を放散するところの菜果を描いて画面に統一をつけているように思える。だから展覧会ではどうも現代肖像画のいい作品が少なく風俗画が絶無でありがちである。
 しかしながら油絵は写実を基礎とするが故に、如何に回避しても現代的風景は人物に静物に、風景に必ず織り込まれて来ることは避け難い。東洋画の如くうるさいところは空白として金箔で埋め、動物園の鶴を雲上に飛ばすだけの自由が技法的にも許されてはいないのであ
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