レンチーノが流行だといえば皆ヴァレンチーノとしてしまうかもしれない。だから人間を作ることを人間に任せておいては同じ型ばかり作りたがる故に危険である。結局一平凡なる無数の顔が製造されて、人間は退屈してしまわなければならない不幸が現れる。
私はしたがって変化ある面白い構図は、自然をよく観察し自然にしたがってよき選択をするところから生じて来るものであると考える。
今一枚の風景画を作ろうとする。一○号というカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スを持ち出す。自然の全体を一○号へ全部残りなく描き込んでしまうことは人間わざでは出来ない。われわれは自然のごく一部分を、この一○号という天地へ切り取って嵌め込まなければならないのである。
ここで自然の中から、自分が見て愉快であるところの図柄を探し出す必要が起こって来る。すなわち構図で苦労することになるのである。
例えば富士山と雲と、樹木と人家と岩とが画面の中央において縦の一直線となって重なり合ったとしたら、いかにも図柄が変だと、誰の心にも感じられるのである。こんな場合画家は歩けるだけ歩きまわって、富士山と樹木と雲と人家と岩とが何とか相互によろ
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