音のいう処、命ずる処に従ってそれ相当の技法を用いて行く処に新らしい意味が生じてくる。

     3 技法の基礎的工事について

 私は近代の画家は、最も自由な技法によってその本心本音を遠慮する処なく吐き出す必要があると思うのである。そして、その心の命ずるままに、あらゆる技法を生むべきものであると思う。
 また各人各様の技法を持ち、絵画は千差万別の趣きをなすという処に、自由にして明るい世の中があるのだと思う。この世の中の画家が悉《ことごと》く一様に仲よしであり、お互に賞讃し合い遠慮し合い意気地《いくじ》のない好人物|揃《ぞろ》いであったとしたらしかも安全と温雅を標語としたら、随分間違いは起らないかも知れないが地球は退屈のために運行を中止するかも知れない。
 ところで、しかし、人間の本心というものはかなり修業を積まぬ限りさように容易に飛び出すものではないようだ。さように簡単な本心にちょくちょく飛出されては世の中が迷惑するであろう。これこそ俺《お》れの本心だろうと思った事が、翌日、それはまっかな嘘《うそ》であったり、人の借りものであり、恥かしくて外出も出来ない場合がない事はない。極端にいえばこれこそ人間の本心であり個性であるというべきものは死ぬまで出ないものかも知れないが、その本心を出そうとする誠意と、それに近づこうとする努力とが芸術を多少ともよろしき方向へ導くのではないかとも思う。
 勿論、人間の本心は子供の時代を離れ一旦《いったん》神様から見離された以上、人間は、今度こそ、自分自身の努力によって神様を呼び戻さなくてはならないのである。
 技法以上の絵、絵にして絵にあらざるの境と誰れやらがいったが、正にその境に到達するまで、何んとかしてやらなければならないのだ。
 食べて後吐く、食べて後|排泄《はいせつ》する。先ず技法の基礎をうんと食べる必要がある。
 では何を食べるか、それは画家は先ずこの世の中の地球の上に存在する処の、眼に映ずると同時に心眼に映ずる処の物象の確実な相を掴《つか》みよく了解し、よく知りよくわきまえ、その成立ちを究《きわ》める事が肝要ではないかと思う。
 この世の物象をよく究め了解する事においては、目下油絵技法の根本の仕事としては一般に先ず最初は素描、即ちデッサンの研究によって自然の形状、奥行、光、調子、といった事柄を探索するのが最も安全にして重要な仕事とされている。
 即ち自然は如何に成立っているものか、地上にあるあらゆる空間、風景、動物、静物はどんな約束で構成されているのか、世界にはどんな調子があり、リズムがあるか、太陽の光はどんな都合に世の中を照しているのか、それによる色彩の変化強弱その階調等それらを如何にして画面へ現すものか、といった風の事を調べるのである。
 それは、大都会の地理を調べる仕事である。都会で如何に何かを仕様としても、都会に対する常識なき者は、先ずモーロー車夫の手にかかるであろう。もしも女ならばうっかりしている間に何かに売飛ばされてしまうかも知れない。
 あるいは親切そうな案内者によって、本願寺の石段は何段あるか、天王寺の塔の瓦《かわら》の類を暗記させられてしまうかも知れない。余談は別として、目下西洋画を勉強するものが必ず行う処の方法として、先ず最初に石膏《せっこう》模型の人像によって、木炭の墨、一色の濃淡によってそれらの物の形と線と面と、光による明暗の差別、空間、調子、遠近、奥行き、容積、重さに至るまでの事を研究了解会得して行くものである。それが素描の意味であり技法の基礎工事である。
 話が大変科学的であるようだが、しかしながらこの科学が油絵の重大な原因ともなってその技術の底に横《よこたわ》っている事を忘れてはならないのである。この点において東洋画の技法とは根本的に差違ある処のものである。

 東西技法の差異と特色
 私はここで西洋画と東洋画との技法の根本的差異について少し述べて置きたいと思う。
 東西の文明が入り乱れて頗《すこぶ》るややこしくなった今の世の日本ではしばしば日本画も西洋画もあるものか、自由自在に何もかも取り入れて、要するに絵でさえあれば、何んでもいい、進めや進めという説もかなりあるものである。これは油絵の技術にのみよっている画家たちの中には尠《すくな》いようだが目下の日本絵の材料によっている人たちの中には、かなり称《とな》えられている処の事柄である。私自身も昔、日本画の技術を捨てる以前においては、かなりかかる説を振廻して先生を困らせた事を記憶する処の一人であった事を、白状して置かなければならない。出来ない相談という事を発見して私は完全に油絵に乗り換えてしまった次第である。
 勿論、広い意味において、美の終点、芸術の終点ともいうべきものは、何に限らず高下深浅の別こそあれ、ほぼ
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