写真のもっとも古風なものは、その周囲を美しい金属のフレームで飾られ、打ち出し模様ある革製の箱に収められてことのほか悦ばしきものであった。今や人々は祖先の肖像を入れたまま仏壇の引き出しの底深くしまい込んで忘れているであろうかも知れないが一度取り出して観賞して見るがいいと思う。
しかし多少新しい時代のものは白き桐箱に入っている。あれはもうわれわれには興味が持てない。
さてガラス絵のことだが私はその歴史に関しても知りたいと思っているが、なにしろ欧州、インド、支那、日本といった具合にかなり手広い諸国で製作されているかのようである上にその絵には署名あるものがない。年代も記されていないので、誰が、どこで、どうして作ったのかわからない。私の持っている、マドモアゼルロアソンという文字が記されている二人の娘の肖像も、まったくオランダあたりから渡来したのかと思っていたが、よく見るとそれは支那製である事がわかった。あるいは案外長崎辺りで作った日本品であるかも知れない。ところで私はだいたい、ガラス絵だからといって何でも買って集めたり歴史を調べたりする余暇も興味もないので、ただわからないままにそのよきものを眺めて楽しんでいるだけである。
私の現在所持しているものの中でも、あるいはその他でもっとも多く見受けるガラス絵の種類を大別すると、純国産ともいえるところの浮世絵末期的なる職人芸術であるところの美人、名勝、風俗、役者等のものと、次には長崎あるいは支那で多く造られたであろうところの西洋人、西洋名勝、西洋風俗絵、オランダ風車のある風景に点景人物が添えられたもの等がある。これはその技法はまったく陰影あるところの油絵風である。たぶん、西洋の油画、版画とか、石版、銅版画の類よりのコピーであろうと思われる。
次には純粋の支那国産的なるものがある。これは支那絵の描法をもって線と色彩によって濃厚にかつおもしろく描かれてある。
以上の三種類のものがもっとも現在でも多く見当たるところのものである。日本国産的のものは画品は下がるものもあるが下がった中にまた捨て難い味と強い色感と末期的浮世絵風を私は発見する。そして簡単な線で囲み平面を塗りつぶしたる描法によってよき単化が偶然にも行なわれてはなはだ得難いものもある。
風景画などの中には、その点景人物のことごとくは、当時の人物写真の美人を切り抜いて貼りつけ
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