楢重雑筆
小出楢重

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)昔《むか》しは

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)多少|口髭《くちひげ》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)カン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ス

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)A ヴェルニアタブロー 〔Vernis a` tableaux〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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   国境見物

 何かフランスにおける面白い絵の話でも書こうかとも思ったのですが、実は西洋で、僕は生まれて初めて無数の絵を一時に見過ぎたために、今のところ世の中に絵が少し多過ぎやしまいかと思っているくらいで、まったく絵について何もいいたくないのです。またこの節は洋行する画家も多いし、帰朝者もまた多いことだし、たいていのことはいい尽されてもいるし、本ものの絵が近頃は日本で昼寝をしていても向こうから洋行して来る時節ですから、あまり珍しくもないと思います。それで絵のことは御免蒙って日本から来た僕宛のカワセが紛失した話を一つ書くことにします。これはパリなどへ送金する上にあるいはまた参考になることかとも思いますから、講談ぐらいのつもりで読んでもらえば結構です。
 僕がちょうど南仏ニースの近くのカーニュにいた時です、ここはルノアール翁の別荘があって、地中海に面した暖かい避寒地で日本の画家達も冬になると、よく集まってくる土地です。当時も正宗氏や硲君も来ていました。そこのオテルデコロニーという安宿に皆泊っていて、盛んに毎日その附近に橄欖の林や美しいシャトウや田舎道などを熱心に描いていたのでした。仕事をしない日は散歩をしたり美しい枯草の丘で日なたぼっこをしたり、ストーブに薪を焚いて話しこんだり、まったく長閑な月日を送ったものでした。そのうちにお正月が来ました。二月の末から僕はイタリアへ旅をする計画を立てて、日本からの送金を待っていたのです。もちろん僕宛の手紙類はパリの日本人クラブ宛で来ることになっていました。そこには僕の友人がいるからです。そしてカーニュの方へ転送してくれるのでした。
 二月のある日日本からの手紙を受け取ったので開いてみると普通の手紙の中から為替の副券が飛び出しました。手紙の文句によると、本券はよほど以前に書留でもって発送したが受け取ったかと書かれてあるのでした。しかし僕はそんな覚えはないのでこれは必然、何か便船の都合か何かで前後したものかくらいに思って気にも止めなかったのですが、何しろ旅を急ぐものだからこの副券で金を引き出そうと考えたのでした。金は当時の相場に換算して一万フラン余りのものであったのですから、大いに元気づいたわけです。近くのニースの町にあるパリの銀行の支店へ出かけ、その帰途クックへ寄ってイタリア行きは一等の寝室でも予約してやろうぐらいの意気込みで出かけたのです。
 変なことのある時には予感というものがあるものですね。ニースの町へ到着して銀行の正門を入ろうとすると、門衛は鉄の戸をピタッと締めてしまったので、僕は思わず「何でヤ」とウッカリ大阪弁を出したのでした。この大阪弁がフランス人の門衛によく通じたものとみえて、時計を指さして示しました。見るとちょうど四時なのでした。ナルホドと思って引退がって帰りました。翌日は今日こそと思って昼めしを早くさせて慌てて行ってみたら、今日はまだ二時であるにかかわらず正門は閉ざされてあるので、これはまたどうしたのかと思って聞くと、今日は土曜日だというのでした。ナルホドと感心してまた引退がったが少し腹が立ちました。考えてみると、その翌日は日曜日に当たるのです。心細くなります。ようやく月曜には早朝から出かけたら、さすがに銀行は開いていましたが、一応パリ本店へ問い合せるから二、三日待てというのです。再び退屈きわまる三日を過ごして行ってみると、この金額は一月十何日に為替の本券を持参におよんだ者へパリ本店において支払ってしまったというのです。普通でさえ、なかなか口へ出ないフランス語が、ドキッとすると同時に一言も出なくなってしまいました。しかし一月十五日頃僕はパリにいなかった、カーニュにいたということだけ辛うじて発音して、あとは無言のまま再び引退したのでした。それはいいとしてもイタリア行きはどうなるのです、その金は日本へ帰る旅費までも含まれているのですから少なからず弱りましたね。オテルへ帰ると、近火でもあったように見舞いに集まるものがあるやら騒ぎです。しかし何しろ消え去ったのが一カ月も以前のことだから金の出よう道理もありません。翌日は、フランス語の達人と正宗氏などとともに出かけて、銀行の支配人に会うて一応談判はしたが、銀行の責任にはならないという結論になって引き退がったのです。
 どうだもう何もかも諦めて、せめて、イタリアの国境なりとも見に行こうかということになりまして、ある日三人ばかりの連中で、カーニュから汽車で三○分ばかりのマントンへ向かいました。マントンは美しい古風な港です。海岸から乗合馬車に乗って、地中海を眺めながら二○町余りを走るとそこがイタリアへの国境でした。さあよく見ておけ、ここから先きがイタリアだと連中がゴチゴチの岩山を指しました。ナルホド、イタリアかなァと思ってよく眺めました。そこには石造の橋が境界の谷間に架かってあって、その上には、兵隊さんが一人立っていました。イタリアだけあって、その辺にはもうギターを持った老人の物乞いが何か歌っているのでした。[#地付き](「みづゑ」大正十二年一月)

   鑑査の日

 会場へ搬入された夥しい絵が、女達の手によって十枚位ずつ、われわれの前に運ばれて来る、そしていいのは予選の部に入る、何としても見込みのないのは落ちてしまうのだ。
 なかなか思ったほど、世の中には隠れた天才とか、奇蹟的に優れたものとかいうものは、やはり沢山はあるものではないのだ、一目見るとすぐわかる程度のものが多いのである。
 今年なども随分、一目でわかる程度のものが多かったのでまったく少し厭になったこともある。何枚見ても、何枚見ても一向われわれを喜ばせてくれないのだ。審査員という役目は絵を落とす役目では決してないのだと私は思っている、いい絵を探し出す役目を勤めているのだ、だから少しでもいいものが現れるとわれわれは喜ぶのだ、いいものが続々と現れ出す時は、皆が椅子から総立ちとなるものだ、まったくわれ知らず立ち上がってしまうものだ。そして目付きが輝くのだ。
 また出来不出来にかかわらず、大作とか力作が続いて運ばれる時なども昂奮してうれしくなってしまうものだ。ところがその反対に六号とか八号の粗末ななぐり描きとか、いじけたものなどが何十枚と続いて運ばれる時には、まったくわれわれは悲観して退屈をさえ感じるのだ。退屈するとすぐ会場の猛烈な暑さを感じ出す。ガンガンと響く会場の大工の金槌の音がいやに聞こえ出すのだ、むせ返る濁った空気が堪らなく咽喉を痛めることを考えるのだ、逃げ出したくなるのだ。人は案外正直なものだと思う。ことに絵描きは善人が多いのだ、いいものにはすぐ感じさせられるのだ。いかに口さきで俺は嫌だとごまかしても心のどこかに好いていれば、その心の底の好きが誰の目にもつくものだ。嫌いで押し通せないものだ。
 審査員は他人の絵の気合いにかけられるべく並んでいるようなものである。いい絵には気合いがある。大作でも小品でもどんな様式の絵であっても作者の気合いのある絵は強い。
 強い気合いを持つ絵はどっしりと置かれてビクとも動かない。もし仮に審査員のうちにあるやましい心から、これを落選させようとたくらむ者があったとしても、それは気合いが許さないであろう。また反対に気合いの抜けた絵を何かの都合から入選させようと一人があせっても、それは駄目なのだ、他の何人かはそんな気合いを認めていないのだから。しかしながら気合いの代りにその都合を認めねばならぬということが万一あったとしたら、それは大事だ、考えても馬鹿らしいことである。要するに、出品者の絵について今年など特に感じたことは、あまりに二科へ出すとか展覧会とか入選とかその結果などばかり考えて描かれたかと思われるような絵がかなり多かったようである。
 したがって目につくことは早がきの慌てた絵の多かったことだ、これは近頃輸入されるフランスの絵に早がきの傾向が多いのでその影響かとも思うが、いったい早がきというものは略したものである、省略である。本当のことを知らずに省略は出来ないのだ、知らぬものを省略することは零以上にすることだ、マイナスになってしまうのだ。
 フランスの絵に略画が多いのはそんな画風が多いことにもよるが、また一つには、西洋人の画界は日本の洋画界よりもよほど商売として成り立っているのでちょうど日本画家の半折画といった調子のことをやるのだと思う。例えば満洲辺で鉄斎の半切画を一枚見て感心し、鉄斎はいつもこればかりやっているのだと早合点するようなもので鉄斎はもっと力作もやれば、随分綿密な青緑山水の大幅もやるのだ。すべて技術の奥にまで達した人は機に臨み変に応じてどんなことでもやるのだから、その一斑を見てすぐ今のフランスは早がきだと思い込むことはどうかと思う。そして技術がないことからその早がきはほんとに味なく潰れてしまっているのである。入選のうちにもこの種類はあるが私はあまり好まないのだ。
 早がきばかりでない、近頃は早がきの上にモティフを見ないで作画をする乱暴な風習も随分増加して来た。これはかなり困った風習だと思う。一寸見は大変面白そうなものでも少し眺めていると、ガタガタに下落して見える絵は主にこの種類のものに多いのだ。それも非写実的な構成的なものならともかくもかなり写実を目的としてある絵でありながらモティフを見ないで作画することは、まったく写実と夫婦になったようなもので決して子供は生まれないであろう。
 私はフランスにいる時に随分、これはまた無数に存在する早がきの絵を見て飽き飽きしていた時、ふと坂本繁二郎氏の画室を訪ねて氏の絵を見せてもらって、私はこの人の絵の気合いにすっかり同感してしまったことを覚えている。今年は珍しく坂本氏が十数点程出されているので私は会場のたまらない空気に煩わされた時々に、氏の絵を眺めに行って気分を直した位である、まったく坂本氏のようなたちの絵は目下の日本にはぜひ必要だと思うのである。
 予選の後、本鑑査の時でもむろん通るべき作品は別として、一番われわれが苦しむのは、何としても形だけはあるが気合いが出かけて出ないヤヤコシイ作品である。
 要するにうんと気合いのあるところを見せてもらえばいいと思う。本当の気合いは軽率な修練ではとうてい駄目だ、何事も修業だ修業だと私は思うのだ、そして私達も修業であるのだ。
[#地から1字上げ](「みづゑ」大正十四年十月)

   真似

 落語家が役者の声色を真似ますが、真似ることそのものがその芸当の目的でありますから、その声色なり様子なりが、真物らしく出来た時にはその芸術の目的は達せられたわけです。
 真似はいつまで経っても真似であって、真物ではありません。真物になっては面白くありません。
 上手な声色を聞いていると、まったくその舞台の光景を思い出してぼんやりとしてしまいます。そしてそれに似させてくれている落語家が大変有難い人のように思われて来ます。その労を謝したい気になります。ついにはその落語家が好きになってしまいます。
 私はよくこんなに真物らしくやれるものならいっそのこと役者になってしまえばどうかと、考えることがありますが、しかしこれは似させるという技術が面白いのであって、真物にうっかり転職してくれては大変です。蓄音機はやはり機械であることが有難いのです。蓄音機が呂昇になりきっ
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