人魂の衰弱をいうのだろうと思う。
 巴里に美術家が集るのも、大阪に商売人が集るのも釜《かま》ケ崎《さき》に乞食《こじき》が集るのも、東京へ文芸が集るのも、支那に支那人が多いのも銀座にカフェが出来るのも十二階下に白首《しろくび》が集るのも、皆魂が魂を呼んでお互に相通じる生活をしようとする結果かと私は考える。

   神経

 神経と申しましても私は神経科の医者ではありませんから、学術的なことは申しません、ただわれわれ絵描き社会で何となく神経と呼んでいるところの、そのぼんやりとした神経について申すのであります。
 あの男には神経がある、あの女には神経がない、あの絵の神経は太過ぎる、などと申しまして大変神経を気にやみます、もちろん医者からいわしますと神経のない人間などある筈はないのですが、われわれ社会のものが見ますと、確実にあるのとないのとがあるのであります。
 神経のある人間の作った作品にはそれだけの神経が通うということは当然でありまして、神経のないものの作品には神経が現れないのも当然であります。作品に限らず言葉一つにも神経は現れるでしょう、指一本の運動にもその人の神経が現れる筈であります
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