うであります、第一|馬鹿《ばか》に大きいガラスというものが、人に、何時《いつ》破れるかも知れぬという不安を与えていけません。
それから、次へ次へと絵具を重ねることが出来ないものですから、勢い画面が単調になります、筆触《ひっしょく》もなければ絵具の厚みもない、ここで不安と単調が重なるものですから、どうしても不愉快が起らざるを得ません。
そんなわけで、大体においてガラス絵の大作というものは、昔しから尠《すく》ないようです、日本製の風景画などに、よく三十号位いもあるのがありますが、それは大変面白くないもので退屈《たいくつ》な下等な感じのするものであります。何んといってもガラス絵は、小品に限ります、Miniature の味です。小さなガラスを透して来る宝石のような心《ここ》ちのする色の輝きです、宝石なども小さいから貴く好ましいのですが、石炭のように、ごろごろ道端《みちばた》に転《ころ》がっていれば鳥の糞《ふん》と大した変りはないでしょう。
私の考えでは、ガラス絵として最も好ましい大きさは、二寸三寸四方から五、六寸位い、せいぜい六号位いの処だと思います。私は三号以上のものを描いた事はありま
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