す。
 しかしながら支那のガラス絵が必ず皆いい訳ではありません、これもやはり日本の散髪屋向きの豆絞りの男女風俗と同じく、何んといっても職人の仕事である以上、偶然の効果として美しいものがあるので、どうかすると至って精巧な絵ではあるが、到底見ていられない俗悪な大作を見る事が多いのであります。
 先頃もある道具屋さんが北京《ペキン》から将来したガラス絵を沢山見せましたが、どうもいいのは尠《すく》なかったようでした、嫌《いや》に精巧で、大作で不気味で、特に人物などは不快な感じのするものがありました、何んといっても、私はガラス絵の特質はそのミニアチュールと宝石の味がなくなっては面白くないと思うのです、その意味からガラス絵は小品に限るのであります。
 目下北京あたりから、ガラス絵は沢山アメリカへ買われて行くそうでありますが、私はガラス絵といえば何んでも面白いという事は困ると思います、その大きさと絵の出来と題材と偶然とのデリケートな関係を味《あじわ》う事が最も必要だと考えます。
 朝鮮でも、今なお作っているそうですが、私の見たものでは角絵《つのえ》があります、それは水牛の角をうすくセルロイドの如くし
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