とだから金の出よう道理もありません。翌日は、フランス語の達人と正宗氏などとともに出かけて、銀行の支配人に会うて一応談判はしたが、銀行の責任にはならないという結論になって引き退がったのです。
 どうだもう何もかも諦めて、せめて、イタリアの国境なりとも見に行こうかということになりまして、ある日三人ばかりの連中で、カーニュから汽車で三○分ばかりのマントンへ向かいました。マントンは美しい古風な港です。海岸から乗合馬車に乗って、地中海を眺めながら二○町余りを走るとそこがイタリアへの国境でした。さあよく見ておけ、ここから先きがイタリアだと連中がゴチゴチの岩山を指しました。ナルホド、イタリアかなァと思ってよく眺めました。そこには石造の橋が境界の谷間に架かってあって、その上には、兵隊さんが一人立っていました。イタリアだけあって、その辺にはもうギターを持った老人の物乞いが何か歌っているのでした。[#地付き](「みづゑ」大正十二年一月)

   鑑査の日

 会場へ搬入された夥しい絵が、女達の手によって十枚位ずつ、われわれの前に運ばれて来る、そしていいのは予選の部に入る、何としても見込みのないのは落ちてし
前へ 次へ
全166ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング