こんなものを探しているわけではないのだ、私の本当の心は新しい作品には新しいものをつけたいと思うのだ、ただ好きなものがないので苦労するのだ。
山下氏などは西洋形式を取り揃えて研究されているらしい、そして自分で木を削り彫刻を施して気のすむまでいじくっていられるようだ、なかなかいい味の本すじのものが出来上がっているのを私は見る。
ところで山下氏の如く本すじのものが出来れば結構だが、ある伝統の様式を知らないものが手製を試みることはむしろ止めてほしいものだと思うのだ。私はしばしばでたらめな文様を施した手製の縁をみたことがあるが、それは非常に嫌味なもので落着かぬものだと思った。
帽子屋の帽子は皆気に入らぬからといって、毛糸か何かで頭巾様のものを妻君に作らせて冠っているようなもので、嫌味でとても見ているものは堪らないのだ。ここがむずかしいところだ。いい縁は必要だが、手製のでたらめを作る位ならばむしろ万屋で買った山高帽子の方がいくら嫌味がなくていいかも知れないのだ、だから凝らない方がよっぽどましだということになるのだ。
[#地から1字上げ](「マロニエ」大正十五年一月)
黒い帽子
私は、一つのものを愛用すると、それがどんなに古ぼけてしまっても、如何に流行から遠ざかっても、次にそれに代るだけの、自分の気に合ったものが現われない限りは容易に捨ててしまう事が出来ないで、いつまでも未練らしく用いていたい性分《しょうぶん》なのです。
私が今|冠《かぶ》っている帽子なども、その愛用しているものの一つでしょう。愛用しているものは何も帽子だけに限った事ではありませんけれども、帽子というものは、一等日常親密に交際するものですから、先ず帽子を思い出したわけです。
私は元来、鍔《つば》の広い帽子が本能的に大嫌いです。例えばアメリカのカウボーイの冠っているもの、あるいは日本の青年団とか少年団とかいう種類の男たちの冠っている帽子などは私の嫌いなものの代表であります、アメリカものの活動写真などを見ると、きっとあの帽子を着た男が現われますので閉口します。虫が好かないのでしょう。
それで鍔の狭い少し巻き上った帽子を以前から随分探していたものでしたが、私の注文通りの型で帽子の流行がいつも一定している訳のものではありませんから、なかなか見当らなかったのです。それで尋ね尋ねた末、やっとの事で遠いフランスは巴里《パリ》の都で、初めて好きな帽子にめぐり逢《あ》ったのでした。
巴里でも伊太利《イタリア》製や、アメリカ、英国製品がかなり多く入っていますが、純フランス製のものの中に私の注文通りの型が沢山あるのでした。
私はサンミッシェルのある帽子屋へ飛び込んで、一番好きな黒の中折《なかおれ》を一つ買って、勇んで下宿へ帰ったのでした。
鍔の狭い事は格別でそして急角度深く巻き上っているのです、その角度に何んともいえない味があるのです。
巴里の極《ご》く普通の男がよくこの帽子を冠っています。それが私の今なお愛用している帽子であります。ところがもう三年余りにもなりますので、よほど古ぼけてしまって色も変って来たようです。
本国の巴里でさえ、もうこんな形は流行していないかもしれません。目下|堪《たま》らなく心細い思いをしている次第。
しかしながら、こんな場合の用意にと思ったわけではありませんが、山が円《まる》くて、鍔がそれはうんと巻き上った黒の軟《やわら》かい帽子をマルセイユで、買って置いたのでした。これは、まだそのまま、トランクの底にフランスの匂《にお》いと、ナフタリンの香気と共に安眠していますので、やや心安んじている次第であります。
人間が鹿に侮られた話
ある夏のことでした。今フランスに滞在している大久保作次郎君と私とが奈良の浅茅ケ原の亭座敷を借りて暮していたことがありました。
ある日ちょっと散歩して帰ってみると、締切って出たはずの障子が少し開いているではありませんか。
おかしなことだと思ってちょっと恐る恐る中を覗いてみますと、大きな一匹の女鹿が座敷へ上がり込んで寝ているのでありました。
おい君、出たまえ、と大久保君が鹿に申しました。私は箒を持ち出して鹿のお尻を突いてみましたがなかなか動きません。ただ尻尾をピリピリと動かしただけです。しかしながら四畳半で眺める鹿の大きさは、また格別なもんだなと思いました。
君出たまえぐらいでは駄目だというので、二人がかりで尻をどやしつけましたら鹿は止むを得ぬといった様子でのそりと庭へ降りました。
温厚である大久保君も、そののっそりとした様子が、いかにも人を見下げた態度だと腹を立て、やにわにステッキを握って鹿の後を追いました。[#底本ではこの行一字下げしていない]
鹿という奴は一体ちょっと見たところいかにも
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