人魂の衰弱をいうのだろうと思う。
 巴里に美術家が集るのも、大阪に商売人が集るのも釜《かま》ケ崎《さき》に乞食《こじき》が集るのも、東京へ文芸が集るのも、支那に支那人が多いのも銀座にカフェが出来るのも十二階下に白首《しろくび》が集るのも、皆魂が魂を呼んでお互に相通じる生活をしようとする結果かと私は考える。

   神経

 神経と申しましても私は神経科の医者ではありませんから、学術的なことは申しません、ただわれわれ絵描き社会で何となく神経と呼んでいるところの、そのぼんやりとした神経について申すのであります。
 あの男には神経がある、あの女には神経がない、あの絵の神経は太過ぎる、などと申しまして大変神経を気にやみます、もちろん医者からいわしますと神経のない人間などある筈はないのですが、われわれ社会のものが見ますと、確実にあるのとないのとがあるのであります。
 神経のある人間の作った作品にはそれだけの神経が通うということは当然でありまして、神経のないものの作品には神経が現れないのも当然であります。作品に限らず言葉一つにも神経は現れるでしょう、指一本の運動にもその人の神経が現れる筈であります。
 昔の占いに墨色判断というのがあります、私は一度見てもらったことがあります。半紙へ墨の一文字を引いて持参に及ぶと、先生はじっと見詰めてその一文字から私の性格や運勢や病気を発見するのであります。それが不思議に当たるのでした。
 私は思いました、なるほどわれわれが他人の作品を観賞する時には、その一筆一筆の集まりから成り立った固りから、その人の心や性格や、生活状態までも、ほぼ察することが出来るということは、やはり何といっても恐ろしい墨色判断に似ております。油絵は色の判断、雪舟は破墨の判断、彫刻は腕力の判断でありましょう。まったく紙や土の上に働いたところの神経を眺めますと、その作者の神経がどんなものかが判ります。神経さえわかりますればその作者の脳の働き具合も想像出来るわけであります。
 芸術家の神経は作品に現れますが、普通の人達の神経はその言葉や行動に現れます、その人の人格というものは芸術家の作品と同じものでしょう。
 神経と地震計とは似ています、どちらもピリピリと動いて震えます、そして震うただけの記録が現れて残ります、だから上等の機械であればあるほど遠方の地震もわかり、完全な記録も出来る訳であります。
 その地震計であるところの神経の上品下品いろいろの種類をちょっと考えてみますと、随分いろいろとあります。
 解剖図で見ますと神経は大体白く細いすじでありますが、われわれから見ますとその白いすじにも非常に細い奴と、馬鹿に太いのとがあるのです、細いのは糸より細いという沢市の身代よりも細いのから、うどん位のもの、太いのになると大黒柱船のマスト位もあろうかという神経までもあるのです。これをわれわれは無神経と呼びます。
 マストや大黒柱のような神経はどうも震動がうまく伝わらないので、丈夫であるが下品に属します、またうどんのようなのろいのもいけませんし、といってあまりに細くデリケート過ぎても潰れやすく、衰えやすく早漏に陥りやすいのです。
 太いものの所有者には軍人、相場師、詐欺師、山かん、政治家、石川五右衛門、成金、女郎屋の亭主などがあります。
 その石川でさえ芝居で見ると、せり上がる山門の欄干へ片足をかけ大きな煙管をくわえて「一刻千金とはちいせえちいせえ」とか申すようであります、あの一言で石川もなかなか神経を持っている男だと知れ、われわれは感心するのであります。
 金持か代議士か成金か、女郎屋の亭主か、何か知りませんが、芸者数名を従えて汽車に乗っているのをよく皆さんは見かけることがありましょう、そんな男は大概憎らしいほど太っています、そしてその神経の太さを充分に発揚しております、乗客の神経も、車掌の神経も、女の神経も、汽車の神経も、皆その大黒柱で踏み潰しております、これを作品に例えてみるとちょうど帝展へ、ある彫刻屋が牛車で、達磨の巨像を担ぎこんだようなものかも知れません。しかし帝展では落選させるからよろしいが、世の中ではこれをはねてしまうわけに行かないので困ります。大体遊興と申すものは神経の太さと金の光を発揚する楽しみと見て差し支えありません。別して大阪人の遊興にはこの種類が多いのでありまして神経係りは大変迷惑を致すのであります。
 神経は太きが故に尊からず、また細きが故に尊からず、上等の地震計が一番尊いのだという格言があるわけではありませんが、総じて芸術の観賞というものはその神経の観賞でありまして、この観賞は人の心の観賞であります、墨色判断であります、八卦であります、人の心の何もかもが判明するのであります、したがって芸術がわかると、この世の中に不愉快の数がう
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