気は凝って油絵となっているといっていい感じがする。しかし西洋のことはしばらく措いて、何といっても東洋人の昔からの理想は、どうあっても静かに静かにという方だ。停滞、棺桶、死、貧乏を理想としている、だからしたがって嫌味の出場所がないのだ。またうっかり出ても大変虐待されるのだ。東洋画家にはオートバイで走り廻ったり、美人のお供をして芝居へ行ったり、金持ちに頭をピシャリとたたかれることを大変な恥と考えるのだ。その上貧乏や死ぬことを大して怖れないという傾向がある。
 だから日本の新派劇を見て下さい。私はかつて嫌味な男に芸者が惚れたという芝居を見たことがない。大抵の場合芸者はさっぱりとした、そして金のない大学生とか、運転手とか、出入りの大工に好意を持つようだ。嫌味な奴に幸福を与えまいと思うのは、東洋人一般が約束してきめているところの規則なのだ。それ位東洋人は嫌味を厭うのだ。
 したがって今までの日本にはあまり嫌味なものが幸いにして残されなかったし、そんなものの横行する余地がなかったが、もし仮に今の日本で死んだ後までもなお嫌味で嫌味で堪らないというほどの嫌味な男があったとしたら、それこそ政府は美術院賞を贈呈に及ぶかも知れないと思う、それはまったく日本としては珍しいことなのだから。
 ところで昔は西洋はこう、東洋はこうとちゃんと分限がきまっていたのだからよかったけれども、現代となって西洋と東洋とが入り交ってしまって、すこぶるややこしくなってしまった。芝居の芸者が嫌味な奴に惚れ出して来たのだ。金と自由とさえ与えてくれれば何でもいいわ、という怖ろしい芸者が飛び出して来たのだ。
 今日の日本人はまったく静かにしていていいのか、元気をつけていいものか、恋愛をしようか、やめておこうか、山へ逃げ込んでみたり、ちょっと現れてみたり、出しゃばってみたりへこんでみたり、種々雑多の相を現して来たので、その発露するところの嫌味も尋常一様の嫌味でなくなって、とてもこんがらがって来た、それはちょうど白と黒の如く相性の悪い二つの性を一つの心に持ったような味を発散するようになって来た。
 今の若い芸術家、映画俳優、女学生、中学生、あらゆる何でもが相性の悪い二つの心を持って悩んでいるのだ。この悩ましくややこしいところから無数の嫌味が、ラジオの波の如く、この世の空気に一杯になって拡がって来たといってもいい位だ。したがって今の世の芸術はもっぱら複雑な嫌味で成り立っている時代かも知れない。
 もう今日の場合ではいかに竹林の七賢人が賢くて嫌味のない人種だからとはいえども、出る幕ではないということになっている。生殖不能だなどいっている奴は早速人生の失業者となって橋の下で死んで行くより外ないだろう。芸術は目下戦争なんだ。当今芝居でも剣劇というのが何よりも流行するというのももっともなことだと思う。
 戦争の時代では嫌味もくそもいっていられない。そこで何しろ事に当たるものは若い者に限るとなっている。壮丁を必要とするのだ。だから今の芸術は画壇でも何でも若いものが、その中心となって働いているわけだ。
 それは無茶にでもやって行けるのだ。ところが悲しいことには西洋人の如く、本当の精力とか体力が何といっても足りないのだから、すぐ早老が押し寄せてくる。生殖、繁殖、進行、猛烈が長く続かないのだ、気ばかりあせってもすぐ早漏だ。これが長い年月嫌味を排斥して棺桶を理想としてきた罰かも知れない。日本ではルノアールの如くあのよぼよぼになるまで、あんなに美しい裸婦の描ける人が一人だっていないのだから情けない。嫌味がなさ過ぎるではないか。
 この多忙な戦争の最中にでもちゃんと坐りこんで、やはり芸術品はアカぬけたものに限ると合点した有望な若い人たちもあるんだが、それが女郎買いを三回分簡約して明日から謡曲の稽古に通ったところで、どうも時代の大勢をいかんともすることが出来ない、これはかえって二重の嫌味が発散したりして、我慢がなおさらならないことになったりするのだ。
 とにかくこの始末は何とかつくには違いない。私はやはり何といっても人間は自分に似合う帽子を買ったり、足のいたまない靴を選択したりするように適当なものを探し出すことだと思う。目下靴が自分の足に合っていないことをそろそろ発見しかかっているんだから、たのもしいことになって来てはいる次第だ。そして優秀な芸術はわれわれのような青二才では出来ない芸当だということになって来なくては駄目ではないかと思う。
 ルノアールのその晩年の裸女なども東洋的な味からいっても気品の高いものである。鉄斎翁という人もその晩年のものが実に素晴らしいではないか。あの鉄斎翁の最近の肖像というものを見たが、まったく絵かきの「ぬし」といった顔をしている。何でも「ぬし」とならなければ神通力は得られない。狐な
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