一生涯はチャンチキチンでも、ドンドンでも何んでも来いだと思った。
 今、私はこの年輩となって、なお阿呆《あほ》らしくも、この囃子連中は芝居のチョボの如く、私の頭の一隅《いちぐう》に控えている。そして或る重要な要件であって、しかも自分にとっては頗《すこぶ》る興味がないといった場面においては、必ずこの連中は出演に及ぶのである。
 それで私は重要な用件を聞き洩《もら》したり頼まれた用事を皆忘れてしまったりしてしまうのである。

   最近の閑談

     〇

 袋にもいろいろある、紙袋、酒袋、オペラバッグ、四季袋、足袋、カポタングレース等。しかし私は最近珍らしいケチ[#「ケチ」に傍点]な袋を見た。
 それは大阪の芸術家や紳士を集めた或《ある》招待会の席上での事だった。一人の工芸家らしい男は、運ばれる料理の主要なもの、例えばコロッケの塊《かたま》りなどには決して手をつけないでその周囲のお添えものばかり食べるのであった、それは多分、食慾がないからの事かと思っていた、すると不意にテーブルの下から丁度海水浴に持参するような手提袋《てさげぶくろ》を取り出し、手早くコロッケをその中へねじ込んでしまったのである、その他残ったものは何に限らずこの袋へそっとほり込んでしまうのであった、その手つきがあざやかである処から察してこんな事の常習者らしく思われた、われわれの連中はただぼんやりとその深酷《しんこく》な感じに打《うた》れて静かに眺めているのであった。
 私はこの男の翌日をちょっと考えて見た、袋から吐出《はきだ》されたゴチャゴチャとしたコロッケ、カツレツ、ジャガイモの類を妻君《さいくん》と二人でつくづくと眺める事だろう、どうせ二、三人の小供も覗《のぞ》きに来る事かも知れない、老母というのも、ゆうべの御馳走《ごちそう》は何んやと次の一間よりまろび出てくるだろう、然る処へ不意に猫の奴が現われて何か一つ浚《さら》って走るかも知れない。この猫をどやしつけて取返し、これを煮《た》き直して、小供は学校行きの弁当に入れてもらい、家では今日はお父さんのお手柄で久しぶりの洋食や、という事になるのかも知れない、などと私は馬鹿気《ばかげ》た想像をめぐらした。
 席を立ってから暫時この袋の噂《うわさ》で賑《にぎや》かだった。或|物識《ものし》りの説では、この頃あの袋は随分大阪では流行しているのだそうだ、名も宴会袋とか何んとかいってこの目的のために作られてあって、多少のお汁|気《け》のあるものでも大丈夫持って帰る事が出来る仕掛になっているそうである。真《まこ》とに重宝《ちょうほう》な袋だ。
 しかしながら大阪古来の風習からいえば、この袋の発明はさほど驚くに当らない事で、むしろ多少手遅れかも知れない、私の知っている婆さんなどはこんな便利な袋さえお金を出して買う事は無駄なもったいない事で、どんな料理屋でも折箱《おりばこ》位いはくれるというだろう。しかし洋食屋には折箱の用意はないかも知れないから彼女は鼻紙を沢山持って行くにきまっている。勿論包んで帰った鼻紙は丁寧に乾燥させて相当な場所で再び使用するのである。無駄せぬ会の幹事でもこの人の日常生活の真似《まね》はちょっと出来ないかも知れないと私は常に思っている位だ。
 ともかくこの古臭い婆さんは別として、現代の大阪人はもっと文化的だ、だからこんなハイカラなものを買わないはずがない。芸術家でさえ已《すで》に用意しているのだから、大阪の金持ちの懐中にはこの袋が最早行き渡っているのではないかと思われる。

     郊外

 私は最近生れて初めて、都会から郊外へ引移った。画家というものは、いつも自然を友とするように思われるのが自然だが、町の中で生れて、町の中ばかりにいた私は殆《ほと》んど木の名も草の名も、魚の名も虫の名も知らずにいた。何か総体として樹木というものだけは知っていた、そしてその代表的な松とか梅、桜、位《くら》いは確かに知っていた、魚は鯛《たい》、まぐろを知っている位いであった。
 従ってつい風景とか自然に対する親しみが比較的|薄《うす》かった、私はあまり人気《ひとけ》のない山奥などへ出かけると不安で堪《たま》らなくなるのである。
 そんな訳から私は今まで地球の上には人間だけが威張っているのだとばかり思い込んでいた、その他の万物はいる事は噂《うわさ》として聞いていただけのものに過ぎなかった。
 ところが初めて私は毎日池を覗《のぞ》いて見たり草原を探って見たりして驚いた、先ず例えば一尺平方の地面の上に、これはまた無数の生物がうようよしているのであった。ちょっとした水|溜《たま》りの中に、何か知ら不思議な奴が充満しているといっていい位い右往左往しているのだ、目に見える奴だけがこれだから、もし細菌といった奴なら、それこそ到底地球上の人
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