訳であります。
 その地震計であるところの神経の上品下品いろいろの種類をちょっと考えてみますと、随分いろいろとあります。
 解剖図で見ますと神経は大体白く細いすじでありますが、われわれから見ますとその白いすじにも非常に細い奴と、馬鹿に太いのとがあるのです、細いのは糸より細いという沢市の身代よりも細いのから、うどん位のもの、太いのになると大黒柱船のマスト位もあろうかという神経までもあるのです。これをわれわれは無神経と呼びます。
 マストや大黒柱のような神経はどうも震動がうまく伝わらないので、丈夫であるが下品に属します、またうどんのようなのろいのもいけませんし、といってあまりに細くデリケート過ぎても潰れやすく、衰えやすく早漏に陥りやすいのです。
 太いものの所有者には軍人、相場師、詐欺師、山かん、政治家、石川五右衛門、成金、女郎屋の亭主などがあります。
 その石川でさえ芝居で見ると、せり上がる山門の欄干へ片足をかけ大きな煙管をくわえて「一刻千金とはちいせえちいせえ」とか申すようであります、あの一言で石川もなかなか神経を持っている男だと知れ、われわれは感心するのであります。
 金持か代議士か成金か、女郎屋の亭主か、何か知りませんが、芸者数名を従えて汽車に乗っているのをよく皆さんは見かけることがありましょう、そんな男は大概憎らしいほど太っています、そしてその神経の太さを充分に発揚しております、乗客の神経も、車掌の神経も、女の神経も、汽車の神経も、皆その大黒柱で踏み潰しております、これを作品に例えてみるとちょうど帝展へ、ある彫刻屋が牛車で、達磨の巨像を担ぎこんだようなものかも知れません。しかし帝展では落選させるからよろしいが、世の中ではこれをはねてしまうわけに行かないので困ります。大体遊興と申すものは神経の太さと金の光を発揚する楽しみと見て差し支えありません。別して大阪人の遊興にはこの種類が多いのでありまして神経係りは大変迷惑を致すのであります。
 神経は太きが故に尊からず、また細きが故に尊からず、上等の地震計が一番尊いのだという格言があるわけではありませんが、総じて芸術の観賞というものはその神経の観賞でありまして、この観賞は人の心の観賞であります、墨色判断であります、八卦であります、人の心の何もかもが判明するのであります、したがって芸術がわかると、この世の中に不愉快の数がう
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