ども神通力を得ると毛の色も金色と変じて金毛九尾となる。芸術家もそこまで行かなければ駄目だ。役者でも、落語家でも、講談師でも、政治家でも、何でもそうだ。堂に入った達人になると皆「ぬし」と変化するようだ。芸術家の終点は「ぬし」ということにきまったようだ。
[#地から1字上げ](「中央美術」大正十五年一月)
七月
冬は陽で夏は陰に当ると老人はいう、なるほど幽霊や人魂《ひとだま》が出るのは、考えて見ると夏に多いようだ、幽霊の綿入れを着て、どてらを被《かぶ》った奴などはあまり絵でも、見た事はないように思う。
芝居などもお岩だとか、乳房榎《ちぶさえのき》だとかいうものは、冬向きあまりやらない、やはり真夏の涼み芝居という奴だ。
しかし私は今ここで怪談をやるのではない、ちょっと怪談も一席やって見たいのだが、それはまた今度の楽しみとしてとって置こう。
私は昔しからかなり毛嫌《けぎらい》をよくしたもので、私が美校在学当時なども、かなり友人たちを毛嫌したものだった、殊《こと》に大阪人を非常に厭《いや》がったものであった、東京から暑中休暇で帰郷する時など、汽車が逢坂山《おうさかやま》のトンネルを西へぬけるとパット世界が明るくなるのは愉快だがワッと大阪弁が急に耳に押し寄せてくるのが何よりもむっとするのであった。
そのくせ自分は大阪の真中で生れた生粋《きっすい》の大阪ものであるので、なおさらにがにがしい気がして腹が立ってくるのであった。それだから、学校におっても大阪から来ている奴とは殆《ほと》んど言葉を交えない事にしていた。日本人が西洋へ出かけると日本人に出会う事を皆申合せたように嫌がるのと同じようなものだ、知らぬ他国で同国人にあえばうれしいはずであろうと思うが、事実はそう行かないのだ、巴里《パリ》にいる日本人は皆お互《たがい》から遠ざかる事を希望する。それはわれこそ一かどのパリジャンになり切ったと思っているのに、フト日本人の野暮《やぼ》臭いのに出会《でくわ》すと、自画像を見せ付《つけ》られたようにハッと幻滅を感じるからだろうと思う。それは無理のない事で全く悲劇でもあるのだ。
人間が霊魂という、単に火のかたまりであって青い尻尾《しっぽ》を長く引いているだけのものであれば、フランス人も、日本人も、伊太利《イタリア》人も、ロシア人も、支那も印度も先ず大した変りはないので、知ら
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