脂やフケを追放することは不可能なことだ、ただ程度と分量の問題だろうと思う。それはその人のお互いの心がけいかんにまたなければならないことなのだ。
 だから心がけのよい娘や芸者を見て下さい、常にちょっと四角位の紙切れを懐中からぬき出して往来で、三越、電車の中で、バスの中でいたるところで鼻の脂を拭いているではないか。これも芸術をよく見せようとする心がけからだろう。
 ところで生きる力の余りから嫌味が発散してくるものだとすると、何としても嫌味は若いもの、旺盛なるもの、元気、色気、富貴、有情、幸運、生殖、繁殖、進行、積極、猛烈というふうなことから自然と湧き出して来るわけだ。
 これに反して老衰、月経閉止、生殖不能、栄養不良、停滞、枯淡、棺桶、死、貧乏、不運、消極といった方面からはあまり湧かないように思われる。
 こうなると大体若いということが第一嫌味の素だということにもなる、また生きていることもついでに嫌味なことになる、人間が一番元気に生きている最中に例の恋愛をやるのだが、この時に書いた手紙の文句ほどうるさいものはあるまい、まずわれわれの悪寒なしでは読み切れない、まったく嫌味には悪寒がつきものなのだ、それは雷に電が伴うようなものかも知れない。
 ところで、西洋人というものは昔から非常に生きていたがる人種だという評判がある、これはどうも定評となってるらしい。すなわちその食物から精力体質からが最もさきに述べたところの前者である。すなわち生殖、繁殖、積極、元気、などの部に大変適っているようだと思えるのだ。それでその発散するところの芸術にも隠し切れない臭気が現れ出すのだ、臭気が充ちてしまえばそれは感じなくなるものだ、そこで西洋では昔からあまり嫌味を東洋人ほど神経過敏に嫌がらない傾向がある。
 東洋人といえば、その芸術にも人間にもこの嫌味が現れることを大変嫌がるのだ。
 それでどんな芸術にも、あるいは広く一般の芸事においても、あの芸は若いというのだ、若いということは嫌味があるということだと思ってもいいと思う。何もかも臭気を取り去った上の芸事を東洋人は愛するのだ。
 だから昔から東洋に存在して第一流のものとして残っている芸術品には、決してこの嫌味の味は存在しないといっていいのだ。
 西洋のミューゼなど眺めてあるくと、それは元気なしでは出来ない芸当でうずまっているといっていい位だ。人間の臭
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