す。
 しかしながら支那のガラス絵が必ず皆いい訳ではありません、これもやはり日本の散髪屋向きの豆絞りの男女風俗と同じく、何んといっても職人の仕事である以上、偶然の効果として美しいものがあるので、どうかすると至って精巧な絵ではあるが、到底見ていられない俗悪な大作を見る事が多いのであります。
 先頃もある道具屋さんが北京《ペキン》から将来したガラス絵を沢山見せましたが、どうもいいのは尠《すく》なかったようでした、嫌《いや》に精巧で、大作で不気味で、特に人物などは不快な感じのするものがありました、何んといっても、私はガラス絵の特質はそのミニアチュールと宝石の味がなくなっては面白くないと思うのです、その意味からガラス絵は小品に限るのであります。
 目下北京あたりから、ガラス絵は沢山アメリカへ買われて行くそうでありますが、私はガラス絵といえば何んでも面白いという事は困ると思います、その大きさと絵の出来と題材と偶然とのデリケートな関係を味《あじわ》う事が最も必要だと考えます。
 朝鮮でも、今なお作っているそうですが、私の見たものでは角絵《つのえ》があります、それは水牛の角をうすくセルロイドの如くして道釈人物、雲鶴等が描かれてあるのです、そして、扉へ嵌込《はめこ》まれてあります、あるいは巻煙草《まきたばこ》の箱の周囲に貼《は》られているものでかなり美しいものがあります。

     三 ガラス絵の技法

 ともかくその種類を探せばいくらでもある事でしょうし、またその蒐集《しゅうしゅう》や穿鑿《せんさく》は近頃ぼつぼつ古いガラス絵や阿蘭陀《オランダ》伝来のビードロ絵を集める事も漸《ようや》く流行して来たようでありますからその道の好事家《こうずか》にお願して置く事として、その種類等についてはこの位いに止めて、私はその考証や穿鑿よりもこの不思議に美しい技術をば――正に消滅しかかっているこの技法をば、もっと芸術的に、そして近代的な表現方法と神経とで、も一度世の中へ生かして行きたいと考えたのであります。
 そこで私の買い集めた貧しい参考品を資料として勝手な方法を種々工夫して見たのでありますがなかなか思う様《さま》絵具がのびなかったり、乾《かわ》きにくかったり、乾き過ぎたりして都合よく行かないのでありますけれども、とにかく今までやって見た中で一番結果のよいと思《おもわ》れる方法を述べたいと思
前へ 次へ
全83ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング