がめる事になる、即ち上演を差止められても文句がいえない気がするのだ。
洋室というものは大体において、ベッドなどはさっぱりしていて、むさくるしい[#「むさくるしい」に傍点]という感じが出ないのが万事に好都合なのだ、ベッドはむしろ部屋《へや》の飾りの一つとなっている場合が西洋では多い、日本では昼の日中《ひなか》に寝床を見ては如何にも嫌《いや》らしい、そこで西洋室に住む画家はいいとして、日本の長屋の二階、六畳において裸婦像を描かねばならぬという事は何んと難儀な事件である事だろう。
そこでわれわれは活動写真のセットの如く安い更紗《サラサ》を壁へかけて見たり、似合わぬテーブルを一つ置いて見たりなどするのだ、すると裸婦が婦人解放の演説でもしている形ともなるので、思わず阿呆《あほ》らしさが込み上げてくる事がある、ではこの長屋の二階と裸婦の生活的調和を試みようとするならば、即ち許されそうにもない場面を、持ち出さねばならない事になるのである。
私はしばしば展覧会において日本の女がどこの国の何んというものかわからない、エプロンのようなものを身につけたり、白い布を腰に巻いて水辺《みずべ》でゴロゴロと寝たり、ダンスしたりしている図を、見かけるのであるが、今の日本の何処《どこ》へ行けばこんな変な浄土があるのかと思っておかしくなる事がある。
私は裸婦を思うと同時にいつもこの変な矛盾を考えて多少の恐れをなすのである。
芸事雑感
仕事の性質によっては老人が適しているものと、青年がこれに適しているものとあるようです。あるいは小供が適しているもの、女が適しているものなどがあります。
童謡を歌ったり、鼻を垂れたり、寝小便をする仕事は何といっても小供にはかなわない。女郎とか妻君とかいう仕事は男はどうも代理が勤めにくいようであります。
小供とか女とかという種類になるとよほど区別が明らかであるように見えますが、人間の少年と中年と、老年とにおける仕事の差別などはかなりややこしいので、つい少年が中年らしい仕事をしたり、中年が小供の真似をしてみたり、老人が青年の仕事を奪ったり、青年が老人の真似をしたりなどすることもよくあります。
これは好きでやるなら女の真似でも小供の真似でも老人の真似でも、何の真似でも勝手次第にやって少しも差し支えのないことであります。好きでやるなら青年が女郎の仕事も手伝
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