硲《はざま》君も正宗《まさむね》氏なども来ていて、毎日近くのシャトウやオリーブの林を描きに出かけたものだった。正月だというのに外套《がいとう》も着ずに写生が出来るのだから結構だった。
 私たちのその安宿というのは、真《まこ》とに田舎風の古めかしい家だった。この宿にジョセフィンという女中がいた。アルサスの女だといって自慢をしていたが大柄な男のような女で鼻下には多少の口髭《くちひげ》もあって、あまり美しいとは考えられなかった。しかしアルサスの女は大変美しいのだと彼女は常にいっていた。それが毎朝、カフェーとパンを私の枕《まくら》もとへ運んだり部屋の掃除に来たりした、随分よく働く女でかなり親切にもしてくれた。
 或日、彼女は部屋の掃除にやって来て、私の写生帖へ何か書き記して見せるのであった。私は少しもそれが読めないし、面倒臭くもあったので、ただいい加減の返事をしてあしらっていたものだ。すると彼女は、よく活動写真で、西洋人が困ったとか弱った場合によくする処の両肩を上げて頸《くび》を少しかしげる表情をしながら何かしきりにぶつぶついっていたがとうとう彼女はあきらめて出て行ってしまった。私には何の事かさっぱりわからなかった。私はただ、私はわからないという、私の一番|上手《じょうず》なフランス語を繰返して置いた事を記憶する。
 以来、私はその事について、何もかも忘れてしまってもう四、五年にもなるが、最近私の書棚を掃除していた時、偶然にも、その折の写生帖が出て来たので、カニューの事を思い出しながら頁を繰っていると、ふとその時ジョセフィンが記した筆蹟が現れたので、彼奴《あいつ》は何をいったのかと思ってつくづくと読んで見ると、それは正《まさ》しく、私は心からあなたを愛するという意味の言葉であった。なるほどあの弱った表情は、なるほどと思い当った。今頃これがわかった[#「わかった」に傍点]のでは大変遅過ぎた。しかしながら、これはわからないので幸だった、もしそれが読めたら何んとか返事をしなくてはならないはずだ。私もあなたが好きだともいえないし、私は嫌《きらい》だといったら怒るかも知れないし、先ず一苦労せねばならない処だった。それにしても、愛するという文字が読めなかったとは、よほどの私は無学であったと考える。私は帰郷病に罹《かか》ったはずだ。



底本:「小出楢重随筆集」岩波文庫、岩波書店
  
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