足の裏は決してかかる浅間《あさま》しい形相はしていまいと考え直しても見たが、何はともあれ、私は一生涯忘れ得ぬ厭な感銘を足の裏から受けて小屋を飛び出した。
出てからも一度看板を見直して見たが看板には足の裏は描いていなかった。
私は以来、足の裏が気にかかって仕方がない、美しい女を見ても、すぐ足の裏を思い出す、洋装の裾から出た二本の立派な足のその裏を考える。坐せる婦人を見るとその足を覗《のぞ》いて見る。私はモデルに寝たポーズをさせる時|屡次《しばしば》その足の裏を見るが、どうも黒く汚れていたりして海士《あま》の形相を打ち消してくれそうなものに出会わない、その上太い足の指がお互いに開いていて、さもこの十四、五貫の重量は私が支《ささ》えているのだといった表情をしているのが情ない。
私はどうかして形相よき足の裏を拝見してあの不愉快な感銘を打消したいものであると常に思っている。
ところが最近は紀州大崎へ出かけた、小船にのって弁天島へ渡ろうとして、偶然にも再び二人の海女を見た、そして私は水面に突き出ている四本の足を眺め、四つの足の裏を見て、昔の記憶を再び新《あらた》にして随分厭だった。
西洋人が寝る時以外、決して靴を脱がないというのも、この形相を他人に見せたくないという心からかもしれないと思う、西洋人は何んとなくこの形相を恥じているのかも知れない、従って足は靴の中でひよひよ萎《しな》びて、西洋婦人の素足は鹿の如く怪奇な形相を呈しいよいよ他人に見せたくない足の裏となってしまっている。
支那の女もまた足を隠そうと心がける、そしてあの小さな足を製造してしまったが、あの足の裏を偶然にも発見したら随分変な感銘を受ける事かと考える。
私はコロンボや、シンガポールで焼《やけ》つく大地を平気な顔で歩いてる素足の土人を見たがその足の大きさと裏皮の厚さを考えて感心したものだ、あの足の裏を一尺の近さに引よせて、じっと眺めたら一体どんな感じがするものだろうと思って見た、象の足、鰐《わに》の足の裏とほぼ同一のものかも知れないと思う。
日本ではその素足を美しいと誇るものがあるそうだ、それは芸妓《げいぎ》だという話であるが、なるほど芸妓の足は表から見るとちょっと美しそうであるが、不幸な私はいまだその裏を親しく眺めて見た事がないので、千日前の海女の足の裏と如何に差別があるかを知らないのを頗る遺
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