大切な雰囲気
大切な雰囲気
小出楢重
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)五右衛門《ごえもん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)石川|五右衛門《ごえもん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
−−
自画像
押入れから古い一束のはがきと手紙の包みが現われた。調べてみると昔、両親が私の美校入学の当時、東京から送ったところの私の手紙類をことごとく集めておいたものだった。
私はなにかおそろしいものの如くその一枚を読んでみた。するとその中には、「御送付下されし小包の包み紙は細かく切って鼻紙といたしました。それくらいの倹約をしています」とあり、あるいは「画架を買うのにやむを得ない道具のこと故思い切って買います。三円五〇銭です、高価です、しかし丈夫なものですから、生涯使うことは出来ます」。その他かかる文句をいろいろに並べて両親を安心させようと努めている。そうしておいて甘い親を欺す気かと人の悪い誰かはひやかすかも知れないが、決して私はさような者ではなかった。当時二十何歳の男としてはなんと善良にしてしみったれそのものであったことかと思う。
次にその心根と少しそりのあわない心根が私の芸術とともに、苦労しながら伸び上がってきた。すなわち私の第二の天性だ。
しかし第一の心根は私から出てしまったのではない。心の底に下積みとなって共存しているのだ。時に矛盾せるこの二つの心が別々に作用することがある。私も不愉快だが他人はそんな時、彼は狸だよ、喰えないということがある。この二つの相反せる心が作用すると狸の性格と見えるのかも知れない。
しかしながら万一それが狸であったとしても、狸の欺し方というものは大体さほどに深刻なものではないと思う。時に深夜の腹芸によって、不眠の夜の御機嫌を伺い奉る位のものではないかと私は考えている。あるいは逃げ出す時、小便をもって桜の花の満開位は見せたいのだが、とても私にはまださような神通力は備わっていない。
[#地から1字上げ](「美術新論」昭和五年五月)
明月で眼を洗う
私の十歳位であった頃の記憶によると、私は母や女中たちとともに、それは盆の満月だったか、仲秋の明月だったかを忘れたが、まだ多少暑い頃だったが、その明月の夜に道頓堀川へ眼を洗いに毎年の行事として出かけたものであった。その頃の道頓堀川は今の如くジャズとネオン灯と貸ボートの混雑せる風景ではなかった。ようやく芝居の前のアーク灯という古めかしく青い電灯がうようよと夏の虫を集め、宗右衛門町の茶屋の二階に暗いランプが点っていたに過ぎなかった。
川水は暗くとろんと飴の如く流れて月を浮かべていた。その明月の水で眼を洗えばなるほど眼は清浄であり、眼病はたちまち平癒するように思われた。私は河岸へよせる水に足をつけて眼を洗ったこの美しい行事を今に忘れ得ない。それにしても、よく眼を悪くしなかったことだと思う。この川水こそは大都会の下水道であるのだ。
[#地から1字上げ](「美術新論」昭和五年四月)
地中海の石ころ
去年の夏、南紀の海辺に寝そべった私は、久しぶりで広々とした大洋を眺めることが出来た。寝ていると、私の周囲にはかの石川|五右衛門《ごえもん》が浜の真砂《まさご》と称した所のその真砂と共に、黒、白、鼠、半透明、紺、青、だんだら染等の潮にさらされたる滑《なめら》かにも美しき小石がざらに落ちていた。
私はなぜかくも美しきものを人は指輪に、あるいはネクタイピンに、あるいは帯止めとして使わないのかと思った。しかしながらこう泥棒の種ほどもざらに落ちていると、なるほど拾って指輪にしても、それが浜の石ころとわかればあまり人が羨《うらや》ましがらないかも知れない。奥様の指の宝石が金魚鉢の中の石と同じものであっては、威張って見ることは出来ないかも知れない。しかしまた本当に美しいものというものは、何も黄金と宝玉に限りもしないだろうとも思われる。身につけるものではないが、例えばマイヨオルの彫刻はせいぜい銅か土の固《かたま》りであり、「信貴山縁起《しぎさんえんぎ》」は一巻の長い紙であり、名工の茶匙《ちゃさじ》は一片の竹であるに過ぎない。要はつまらない石ころや紙に人の心が美しく働きかけて、本当の宝玉は現れはしないか。
だから私は正直正銘の値だんをそのままに現して見せる所の二十円金貨の帯止めや、純金|平打《ひらう》ちや、実印兼用の大形の指輪、ダイヤの巨大なる奴が二つもヘッドライトの如く輝いている指など見ると、私はその不潔さに腹の底から食べたものが込み上ってくる。
といって今、往来で拾ったばかりの石を貴金属屋へ持参して、その周囲をかくの如き様式の芸術で包んでくれと頼んで見た所で、職人は、あほらしい、そんなもったいない[#「もったいない」に傍点]ことはやめなさい、第一この石はただの石やおまへんか、というにきまっている。すると美しき空想も芸術も何もかもそれで終局となる。
南仏の沿岸は赭色《しゃしょく》の石で充《み》ちている。それはモネーの地中海と題する有名な絵を見てもわかる。その小石を指輪にして美しい加工をその周囲に施したのを、パリである友人の指に私は発見したことがあった。赭色と、フランス金の黄色と、その唐草《からくさ》模様はよき調子を持っていた。そのことを私は思い出してTさんに話した所、それはさぞいいでしょうといった。丁度Tさんの友人で甚だローマンチックな画家が渡欧するので、君、何も土産《みやげ》はいらない。ただ地中海の赤い石だけを忘れぬように送ってくれといったものだ。
忠実なる画家は、その後忘れずに南仏へ旅した時、村の人々にも訊《たず》ねて見たが、指輪にするようなそんな赤い宝石は、昔からこの地方に産しない、誰も皆知らぬといったそうだ。しかも彼はそのざらにある石ころを靴で踏みながら、赤い玉を尋ねて甚だくたびれたという。
ファン相貌メモ
有頂天という、その頂天を離れたるファンの魂は頭上二、三尺の間を上下往来している。超有頂天である。
今や小倉対広島のクライマックスである。彼らの拍手は自身および近隣の魂まで叩き潰しはしないかと思われた。かと思うと天眼をもって闘士の行動をじっと見据える。
[#地から1字上げ](「大阪朝日新聞」昭和五年八月)
真夏の言葉
夏服で神戸を散歩する頃、私はいつも渡欧の途中、上海《シャンハイ》や香港《ホンコン》へのヘルメット姿における上陸を思い浮べる。私自身が船を突堤にすてている旅行者の心となる処に、甚だ軽快な味を感じる。同時にそのあらゆる国の様々の船の美しい煙突が煙を吐いて重なり合っている風景を、ギラギラする陽光の中に見ると、全くこうしてじっと植物の如く地上に動かず立っている事、が大変口惜しく思われてならぬ。
とにかくエンジンの動く甲板へ立ちさえすれば、われわれが幾枚かの絵を塗りつぶしている間に欧洲航路の船長は、甲板という地上の断片に乗って印度洋を何回か往復するのである。といって用もないのに船長の如く地球を走って見てもつまらないけれども、私は夏における汽船進行の形を見ると誘惑される事|甚《はなは》だしいものがある。せめて別府《べっぷ》行きの紅丸でもいいから、それに乗ってあのペンキの匂《にお》いを嗅《か》ぎ廻って見たいと思う。鼻から彼南《ペナン》、印度洋、マルセイユが蘇《よみがえ》ってくるのだ。
私が印度洋を知らなかった時、私の心配は印度洋と紅海《こうかい》のその暑さの度合だった。どれ位の暑さかという事を経験ある人たちに訊《たず》ねて見たが、各々人によって答が異っていた。とても君のからだではあの暑気に堪えられるかどうかという致命的な心配を与えて、私をおどかす者が多かった。ではこれ位ですかといって私は火鉢の火の上に手をかざして見たりもした。
でも、私が日本を出る時、私のスートケースの一個は全く浴衣《ゆかた》のねまき[#「ねまき」に傍点]と一|打《ダース》の猿股《さるまた》とシャツによって埋められていた。
それは私が暑さを厭うからでなく、汗を特別に嫌がるためだった。衣服と皮膚との間に一つの汗という汚水の層を持つ事は全く不愉快な事だ。浴衣の汗は直ちに拭《ぬぐ》い去る事が出来るが洋服の汗はカラーによって封じ込められているため、手を入れるべき隙間《すきま》がない。やむなく体温が汗を乾燥させるまでじっと忍耐しなければならない。この間の皮膚の触感位情ないものはない。窮屈な場所で紳士は羅紗《ラシャ》のモーニングを着用し、あるいは女は素晴らしき帯を幾重にも胴体へ捲《ま》きつけていると、胸も臍《へそ》も夕立を浴びているにちがいない。誰れも彼も悉《ことごと》く汚水の層を馬の如く着用しているのかと思うと私は甚だ気の毒に思えてならない。汗を直ちに気体とする下襦袢《したじゅばん》はないかと思う。
さて私の印度洋は湿気と雨と風とで日本の梅雨を思わせ、私はその風に当って軽い風邪《かぜ》を引いてしまった。印度洋で風邪を引くという事は全く私のプログラムにはない事だった。さすがに紅海は太陽の光と熱砂の霞《かすみ》と共に暑かった。汗と砂漠《さばく》の黄塵《こうじん》によって私の肉体も顔も口の中までも包まれてしまった。そして地中海に入って漸《ようや》く初秋を感じた時、顧みて何処《どこ》が最も暑かったかを考えた時、私は日本の八月の神戸港頭に立った時と、殊に門司《もじ》の街《まち》を午後三時に散歩した時のやるせなき蒸暑《むしあつ》さが直ちに思い出された。上海や香港も暑かったが汗が直ちに空気と化す如く思えて、やるせなき暑さではなく心は常に晴々としていた。要するに日本の夏位汗を絞り出す空気はないようだ。殊に九月の初め頃の残暑の汗は、油汗といって皮膚の表面は重油を塗られた如くべっとりとして、終日乾燥しない傾向がある。悪性の汗だ。その重油の皮膚へ当る初秋の風の冷たい触感は情なくも憂鬱《ゆううつ》だ。その悪性の汗を夕方の一|風呂《ふろ》によって洗い清める幸福はいい加減な恋愛よりは高雅な価値がある。
しかし汗もいわゆる軽く汗ばむという言葉の如く汗ばむ事は、人間の心を妙にときめかす力がある。そして男女の肉体の香気を秋よりも冬よりもむしろ春よりも実際的な力を以て立ちのぼらせる傾向がある。
仲秋の月は鋭く冴《さ》えて清潔だが、少々気候が寒過ぎはしないか。月見に誘われて船の中で寒気のために固くなって帰った経験はしばしばある。私は殊に貧血性だから。
本当に私に適当な月は、八月の盆の頃の月である。物干しへ出て寝ころびながら、月面の穴に見惚《みと》れ、そのうち自分がその穴へ這入《はい》って見たり出て見たり、最も高く銀色に輝く頂点へ立って見たりしていても、決してその莫迦《ばか》らしき想像を冷却すべき寒気がない。あるいは彼女と共に海辺を、森を、午前三時まで散歩しても、決して風邪を引かない。もしそれ抱擁せんか、多少の汗ばみたるは、夏の夜を更に香ばしく調子づけはしないだろうか。
とかく、秋の天候は変化に富み、折角の一年の月が曇らされてしまう今宵《こよい》ともなりがちだ。さように稀《まれ》な寒い月を求めずとも、私は盆の頃の少々まだ土用の熱気のために逆上してはいるけれども、八月の月を遠慮なく眺める事をすすめたい。
とはいえ私も考えて見るに、あまり寒からず曇らず、あまりに平凡に電燈の如く輝いているが故に、おやいい月だといってしまうと同時に、われわれはすぐ退屈を感じて月の事はもう天へ預けておいて、勝手な事をして遊んでしまう。
かの、四、五人に月落ちかかる何んとかいう言葉は、全く盆踊のために忘却されたる月が天に一つころがっている感じがよく現れていると私は思う。
完全に忘れられたる月を私は巴里《パリ》で見た。モンマルトルやサンゼルマンの夜の空に、三
次へ
全16ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング