気は日々清透の度を加え、颱風《たいふう》が動き出す。春日の森にひぐらし[#「ひぐらし」に傍点]とつくつくぼうし[#「つくつくぼうし」に傍点]が私の汗をなお更《さら》誘惑する。男鹿《おじか》はそろそろ昂奮《こうふん》して走るべく身がまえをする。そして漸《ようや》く奈良の杉と雑木《ぞうき》の濃緑《こみどり》の一色で塗りつめられたる単調の下に、銀色のすすきが日に日に高く高畑《たかばたけ》の社家町の跡を埋めて行く。
奈良で画家が集る写生地は主としてこの高畑である。私は時に高畑の東にある新薬師寺《しんやくしじ》まで散歩した。その途中で数人の知友に出遇《であ》ったりもした。あるいは夕日の暑さに溶《と》ろけた油絵具の糟《かす》が、道|端《ばた》の石垣に塗りつけられてあったりする。それを見ると暑い画家の怨霊《おんりょう》がすすきの中から立ち昇《のぼ》ってくる気がしていけない。
新薬師寺の物さびたる境内は私の最も好きな場所であった。ひぐらしと蝉の鳴物はかえってあらゆる音を征服して非常な静かさを現す。その中に古い本堂が甚だ簡略に建っている。その本尊の顔は奇《く》しくも暢《の》びやかなうちに鋭い近代女
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