でさえも、この現代において、北は久太郎町から難波駅にいたるただ十町ばかりが心ブラ地帯であるに過ぎない。若き暇な芸術家は一夜に心斎橋を幾往復するか知れないという。さても辛抱の強さよ。
したがって大阪の夜店は暗黒の街路を一、六、三、八、といった日に氏神を中心としてその付近を急激に明るくして楽しもうとする傾向がある。私の子供時代の大阪の夜の暗さは徳川時代の暗さをそのままに備えていた。だから夜は寝るよりほかに途はなかったものだ。したがってまだ宵の一〇時ごろに火事の半鐘がじゃんと鳴ってさえも、丁稚や番頭は悦びに昂奮して飛び上がったものだ。縁もなきよその火事でさえも一応は火事半纒を着用して、えらいこっちゃ、近い近いと走り出した。そして彼らは火事が終わりを告げ、火の気がなくなるまでかえっては来なかった。それくらい若い男たちは退屈だったのだ。丁稚や私の幸福は、すなわち火事と夜店の八の日だった。それは八日、一八日、二八日に出るところの大宝寺町の夜店だった。母はその日がくると今夜はよのよだといった。すなわち横町の夜店の略称だ。すなわちよのよの日は女中も番頭も丁稚もめかしこんでぞろりぞろりと繰り出すのだ。
前へ
次へ
全152ページ中58ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング