円とかになるねがな、気楽な身の上や。」
 貧乏して何にもならぬ事に苦労している時、こういわれては全く阿呆《あほ》らしくて、芸術心も萎《しな》びてしまう。そこで、気の利《き》いた芸術志望者は、多少大阪よりは憂鬱である東京へ逃げて行く。それで、大阪は常に文芸家、芸術家は不在である。水のないところでは魚も呼吸が困難なのであろう。私なども、関西に暮していると、ロータリークラブへ画家として出席しているような、変な淋《さび》しさを常に感じている。
 居住性からいえば、大阪の郊外、殊に阪神間くらいいいところはないと思う。だが、この温和な土地で、大きな別荘に立て籠《こも》って、利息の勘定をしながら、家内安全、子孫長久、よそのことはどうでもよい。文化とは何んや、焼芋《やきいも》の事か。「近頃文化焼芋の看板をしばしば見かける」というような人情を私は感じる。こんな人情は大阪に深く根を下ろしているらしい。そして文化を焼芋と化し、赤玉を生み、エロ女給となって遠く銀座にまで進出する。またおそろしくも強い人情ではある。

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