いて甘い親を欺す気かと人の悪い誰かはひやかすかも知れないが、決して私はさような者ではなかった。当時二十何歳の男としてはなんと善良にしてしみったれそのものであったことかと思う。
次にその心根と少しそりのあわない心根が私の芸術とともに、苦労しながら伸び上がってきた。すなわち私の第二の天性だ。
しかし第一の心根は私から出てしまったのではない。心の底に下積みとなって共存しているのだ。時に矛盾せるこの二つの心が別々に作用することがある。私も不愉快だが他人はそんな時、彼は狸だよ、喰えないということがある。この二つの相反せる心が作用すると狸の性格と見えるのかも知れない。
しかしながら万一それが狸であったとしても、狸の欺し方というものは大体さほどに深刻なものではないと思う。時に深夜の腹芸によって、不眠の夜の御機嫌を伺い奉る位のものではないかと私は考えている。あるいは逃げ出す時、小便をもって桜の花の満開位は見せたいのだが、とても私にはまださような神通力は備わっていない。
[#地から1字上げ](「美術新論」昭和五年五月)
明月で眼を洗う
私の十歳位であった頃の記憶によると、私は母や女中た
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