するのである。といって用もないのに船長の如く地球を走って見てもつまらないけれども、私は夏における汽船進行の形を見ると誘惑される事|甚《はなは》だしいものがある。せめて別府《べっぷ》行きの紅丸でもいいから、それに乗ってあのペンキの匂《にお》いを嗅《か》ぎ廻って見たいと思う。鼻から彼南《ペナン》、印度洋、マルセイユが蘇《よみがえ》ってくるのだ。
私が印度洋を知らなかった時、私の心配は印度洋と紅海《こうかい》のその暑さの度合だった。どれ位の暑さかという事を経験ある人たちに訊《たず》ねて見たが、各々人によって答が異っていた。とても君のからだではあの暑気に堪えられるかどうかという致命的な心配を与えて、私をおどかす者が多かった。ではこれ位ですかといって私は火鉢の火の上に手をかざして見たりもした。
でも、私が日本を出る時、私のスートケースの一個は全く浴衣《ゆかた》のねまき[#「ねまき」に傍点]と一|打《ダース》の猿股《さるまた》とシャツによって埋められていた。
それは私が暑さを厭うからでなく、汗を特別に嫌がるためだった。衣服と皮膚との間に一つの汗という汚水の層を持つ事は全く不愉快な事だ。浴衣の汗は直ちに拭《ぬぐ》い去る事が出来るが洋服の汗はカラーによって封じ込められているため、手を入れるべき隙間《すきま》がない。やむなく体温が汗を乾燥させるまでじっと忍耐しなければならない。この間の皮膚の触感位情ないものはない。窮屈な場所で紳士は羅紗《ラシャ》のモーニングを着用し、あるいは女は素晴らしき帯を幾重にも胴体へ捲《ま》きつけていると、胸も臍《へそ》も夕立を浴びているにちがいない。誰れも彼も悉《ことごと》く汚水の層を馬の如く着用しているのかと思うと私は甚だ気の毒に思えてならない。汗を直ちに気体とする下襦袢《したじゅばん》はないかと思う。
さて私の印度洋は湿気と雨と風とで日本の梅雨を思わせ、私はその風に当って軽い風邪《かぜ》を引いてしまった。印度洋で風邪を引くという事は全く私のプログラムにはない事だった。さすがに紅海は太陽の光と熱砂の霞《かすみ》と共に暑かった。汗と砂漠《さばく》の黄塵《こうじん》によって私の肉体も顔も口の中までも包まれてしまった。そして地中海に入って漸《ようや》く初秋を感じた時、顧みて何処《どこ》が最も暑かったかを考えた時、私は日本の八月の神戸港頭に立った時と、殊に
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