にぴったり調和するように、もっと色彩の美しい、目につきやすい、すっぱりしたものであって欲しいと思うのである。

   陽気すぎる大阪

 私がもしも現在なお大阪の財産家のぼんちであり、その遺産と先祖代々の商売を継承していたとしたら、そしてその余りの時間を南地北陽に費《ついや》し、その余りの時間をダンスホールとホテルに、その余りの時間をゴルフと自動車に、その余りの時間で市会議員ともなり、その余りの時間で愛妾を撫育《ぶいく》し、最後の甚だ吝《しみ》ったれた時間を夫婦|喧嘩《げんか》に費すという身分ででもあれば、私は、大阪の土地くらい煙たい階級のいない、のんきな、明るい、気候温和にして風光|明媚《めいび》なよいとこはないなアと満足するにちがいない。
 ところが学術、文芸、芸術とかいう類《たぐい》の多少|憂鬱《ゆううつ》な仕事をやろうとするものにとっては、大阪はあまりに周囲がのんきすぎ、明る過ぎ、簡単であり、陽気過ぎるようでもある。簡単にいえば、気が散って勉強が出来ないのだ。画家だってよくこんなお世辞を戴《いただ》く。「あんたらええ商売や、ちょっと筆先きでガシャガシャ塗りさえすれば百円とか五百円とかになるねがな、気楽な身の上や。」
 貧乏して何にもならぬ事に苦労している時、こういわれては全く阿呆《あほ》らしくて、芸術心も萎《しな》びてしまう。そこで、気の利《き》いた芸術志望者は、多少大阪よりは憂鬱である東京へ逃げて行く。それで、大阪は常に文芸家、芸術家は不在である。水のないところでは魚も呼吸が困難なのであろう。私なども、関西に暮していると、ロータリークラブへ画家として出席しているような、変な淋《さび》しさを常に感じている。
 居住性からいえば、大阪の郊外、殊に阪神間くらいいいところはないと思う。だが、この温和な土地で、大きな別荘に立て籠《こも》って、利息の勘定をしながら、家内安全、子孫長久、よそのことはどうでもよい。文化とは何んや、焼芋《やきいも》の事か。「近頃文化焼芋の看板をしばしば見かける」というような人情を私は感じる。こんな人情は大阪に深く根を下ろしているらしい。そして文化を焼芋と化し、赤玉を生み、エロ女給となって遠く銀座にまで進出する。またおそろしくも強い人情ではある。

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