ちとともに、それは盆の満月だったか、仲秋の明月だったかを忘れたが、まだ多少暑い頃だったが、その明月の夜に道頓堀川へ眼を洗いに毎年の行事として出かけたものであった。その頃の道頓堀川は今の如くジャズとネオン灯と貸ボートの混雑せる風景ではなかった。ようやく芝居の前のアーク灯という古めかしく青い電灯がうようよと夏の虫を集め、宗右衛門町の茶屋の二階に暗いランプが点っていたに過ぎなかった。
 川水は暗くとろんと飴の如く流れて月を浮かべていた。その明月の水で眼を洗えばなるほど眼は清浄であり、眼病はたちまち平癒するように思われた。私は河岸へよせる水に足をつけて眼を洗ったこの美しい行事を今に忘れ得ない。それにしても、よく眼を悪くしなかったことだと思う。この川水こそは大都会の下水道であるのだ。
[#地から1字上げ](「美術新論」昭和五年四月)

   地中海の石ころ

 去年の夏、南紀の海辺に寝そべった私は、久しぶりで広々とした大洋を眺めることが出来た。寝ていると、私の周囲にはかの石川|五右衛門《ごえもん》が浜の真砂《まさご》と称した所のその真砂と共に、黒、白、鼠、半透明、紺、青、だんだら染等の潮にさらされたる滑《なめら》かにも美しき小石がざらに落ちていた。
 私はなぜかくも美しきものを人は指輪に、あるいはネクタイピンに、あるいは帯止めとして使わないのかと思った。しかしながらこう泥棒の種ほどもざらに落ちていると、なるほど拾って指輪にしても、それが浜の石ころとわかればあまり人が羨《うらや》ましがらないかも知れない。奥様の指の宝石が金魚鉢の中の石と同じものであっては、威張って見ることは出来ないかも知れない。しかしまた本当に美しいものというものは、何も黄金と宝玉に限りもしないだろうとも思われる。身につけるものではないが、例えばマイヨオルの彫刻はせいぜい銅か土の固《かたま》りであり、「信貴山縁起《しぎさんえんぎ》」は一巻の長い紙であり、名工の茶匙《ちゃさじ》は一片の竹であるに過ぎない。要はつまらない石ころや紙に人の心が美しく働きかけて、本当の宝玉は現れはしないか。
 だから私は正直正銘の値だんをそのままに現して見せる所の二十円金貨の帯止めや、純金|平打《ひらう》ちや、実印兼用の大形の指輪、ダイヤの巨大なる奴が二つもヘッドライトの如く輝いている指など見ると、私はその不潔さに腹の底から食べたものが
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