蝿の頭を集めて食べてみたという。そして[#「そして」は底本では「そしして」]下痢を起こした。まずいろいろと食べてみたがこんなまずいものはなかったということだ。
 悪食家というものは、食慾界の色魔ではないかと思う。われわれ画家は美に対しては多少の色魔となっているかも知れない。ちょっと食えないものでも食っている。そして貧乏に苦しみながら一代を好色に費やしてなお足りないという次第となっている。
 だがしかし芸術上の食慾は猫を殺したり、蝿の頭を集めたり、女を食べてしまったり、要するに、左様な殺生や、他人を不幸に陥れたりは決してしないつもりである。本当の仏性とはこのことかと自ら考えるくらいあらゆるものを敬い過ぎるようである。悪食家でさえも自分の責任は自分で背負って立って行くものだ。例えば下痢をするとか、あるいは中毒して死んでしまうとか。
 すると何といっても好色という悪食家が一番いけないことになる。色魔というものは自分の責任を負わないからいけない。責任を全うする色魔というものがあったとしたら、それは決して色魔ではない。

 私の知っているある名誉職という老人にして女中専門という悪食家があったが、
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