》が並べてあるのではない。忠臣蔵四段目、福助の判官が切腹を終ったすぐあとの、静寂なる場面の印象を描いたものである。

   芦屋風景

 芦屋という処へ住んで二年になる。先ず気候は私たちの如くほそぼそと生きているものにとっては先ず結構で申分はない。そして非常に明るい事が、私たち淋《さび》しがり屋のために適当しているようだ。
 南はすぐ海であり、北には六甲山が起伏し、その麓《ふもと》から海岸まではかなりの斜面をなしている。東に大阪が見え、西には神戸の港がある。電車で大阪へ四十分、神戸へ二十分の距離である。
 その気候や地勢の趣きが南仏ニースの市を中心として、西はカーニュ、アンチーブ、キャンヌ東はモンテカルロといった風な趣きにもよく似通《にかよ》っているように思えてならない。殊に山手へ散歩して海を眺めるとその感が深い。小高い丘陵が続く具合、別荘の多い処、自然が人間の手によってかなり整頓されている処、素晴らしいドライヴウエイがあり、西洋人夫婦が仲よく走る有様なども似ている。私は散歩する度《た》びに南仏を思い出すのである。
 それで随分風景を描く場所も従って多く、風景画には不自由を感じないように思える訳でもあるけれども、それが事実はさようにうまく成立っていない処が、南仏と芦屋との悲しい相違である。
 南|仏蘭西《フランス》一帯にかけて生い茂っている処のオリーブの林は如何に多くの画家を悦ばしている事か知れない。その墨の交じった淡緑色と、軟かく空へ半分溶け込んで行く色調は随分美しい。セザンヌやルノアルの風景の半分はオリーブの色調で満たされているといっていいかも知れない。
 この芦屋にはオリーブの代りに黒く堅い松の林の連続がある。松も悪いともいえないが、オリーブのみどりに比べると色彩が単調で黒過ぎる、葉が堅い。従って画面が黒く堅くなる。
 地面は六甲山から流れ来る真白の砂地である。白と堅いみどりの調和は画面に決して愉快な調和を与えない。その白い砂地に強い日光が照りつけ、松の影が地に落ちるとただ世界はぎらぎらとまぶしく光るだけである。大概の画かきはこれは御めんだといって逃げ出す有様を私はしばしば見る。
 それから風景としての重大な要素である処の建築が文化住宅博覧会であるのだ。或る一軒の家は美しくとも、その両隣りがめちゃなのだ。すると、悉《ことごと》くめちゃと見えてしまう。
 その家あるがために風景がよく見えるという位の家が殆《ほと》んどない。これは何も芦屋に限らない、現代日本の近郊の大部分は同じ事ではあるが。
 それにつけても羨《うらや》ましいのはモンテカルロ辺《あた》りの古風な石造の家や別荘の積み重なりの美しき立体感である。マッチの捨て場所のない清潔な道路である。
 家ばかりを幾度描いても描き切れない豊富な画材が到る処に転がっているのだ。
 でも私は、あまりいい天気の日に、何かたまらなくなって、カンヴァスを携げて山手の方へモチーフをあさりに行く。そしてその度びに何か腹を立て、へとへととなって疲れて帰ってくる事が多いようである。
 その腹立ちを直すために、神戸へ出かけて、ユーハイムの菓子でコーヒーをのみ、南京街で新鮮な野菜を求めて帰ってくる。
 私の絵に静物や裸女が多くなるのもやむをえない影響であるだろう。

 私の家を門のそとから眺めて見ると、温室があり花壇があり様々の草花が咲き乱れている。その少し奥にはガレージがあり、二台のオートバイが並んでいる。それから小さな亭座敷《ちんざしき》があり、松の並木があって、私の家の玄関が見えその奥づまりに画室がある、という極く見かけは立派な光景である。
 御宅の先生はオートバイに乗られますかと驚いて訊《き》く人がある。勿論、ヴラマンクはオートバイで写生に走るというから、日本にだって一人位いはさような影響を蒙《こうむ》る画家が出ても差支えなかろうとは思うが、実は宅の先生はまだ自転車にも乗れないのだから残念だ。
 私自身は私の家の内から外を常に眺めて暮しているから、花壇も温室もガレージも、オートバイも皆、私のものではない事がよくわかっている。そして、ただ私のアトリエだけが漸《ようや》く自分自身のものであるに過ぎないのだ。
 本当は、私は自分の衣食住に関しては、非常に気むずかしく、神経質で気ままで、自分の考え以外の事は決して許したくない性質を持っているのであるが、自分にはそれを徹底させるだけの資力も根気もないので、何もかもをあきらめて衣食住の一切は成り行き次第の流れのままにまかせてある。
 万一、明日大地震が起って、直ちに吾人《ごじん》は穴居生活に移らねばならぬとあれば、私は直ちに賛成する。
 私は橋の下でも、あるいは大極殿《だいごくでん》の山門の中でも決して辞退はしないつもりである。水は方円の器に従うが如く、
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