う。
しかし私は酒による恍惚境とその色彩と、その雰囲気と、その匂いと、その複雑にして深味ある味は何物にも求め得ない宝玉の水だと思っている。私は常にそれをちょっとなめさせてもらうだけで一生涯満足せねばならぬ。
花の頃の日曜や祭日等、私は遠足や郊外への散歩等を好まない。子供のつき合いで止むを得ない限りはなるべく出ないことにしている。あの電車や汽車の混雑も嫌だが、ことに泥酔者がうるさくて堪らない。
泥酔者は電車の中で嘔吐を吐く、電車のみでなく道路でさえ陽春にはどれ位多くの嘔吐が一夜に吐き散らされているか知れない。そしてそれを見ると彼等が今まで何をたべ何をしていたかが想像出来るからなおさら堪らない不潔さを感じる。
よき日和であり日曜であれば、人間の機嫌はよろしい。まず家族づれの清遊を試みようとして出かけたりするが、その途中で泥酔者が電車に乗り合わせたりすると私の機嫌など消滅してしまい、不潔な一日を得て帰ることも多い。
そこで私は外出や行楽は必ず日曜祭日以外においてすることにきめている。そして花時や祭日は家に籠居してもって楽しみとする。
しかしながら私がもし酒がのめたとしたら、私もまた泥酔してなるべく雑言を吐き散らし、迷惑を他人に及ぼし喧嘩をなし、常々嫌だと思う奴の頭を撲りつけ、乱暴を働き騒ぎ廻ってみたいと考えている。酔えるものは、こら馬鹿めといったところで酔っているからということで相すむけれども、私の如く常に醒めているものが誰かに馬鹿めといったら、その馬鹿は一生涯消え失せない馬鹿となる。酒は都合よきごま化し薬であると思う。あらゆることをごま化すのみでなく自分自身の心をごま化し、もって心を転化させることさえ出来る。
ごま化すといえば、煙草だってそうである。一時の疲れた神経をごま化し、人と自分との対話の間にあっては煙幕を張って、あるてれくささをごま化し、話と話の空間をふさぐのに適当である。
酒も煙草ものめない私は、常に常であるところから悩みは悩みの上へ重なり、疲れは疲れの上に堆積するばかりである。
時にコーヒーと餅菓子とケーキをもって心気を爽やかにすることは胃散の用意なくては出来難い。しかる後、心に積る悩みは固まって憂鬱となるおそれがある。
私はまったく酒によって心よき前後不覚の味を得てみたいと思う。あるいはまったく酒なき世界が現れてほしいものだと考えることもある。飲める者とのめない者とがこの世に共存するのは情けない。しかしながら酒なき食卓は火の気なき火鉢ではある。
因果の種
誰も同じことかも知れないが、どうも私はほんのちょっとした絵を仕上げる場合でも必ずそれ相当の難産をする。
楽しく安らかに玉のような子供を産み落としたという例は、皆目ないのである。
その難産を通り越すか越さないかが一番の問題である。越せばとにかく絵は生まれる。越さない時は死か流産か、あるいはてこずりとかいうものである。
難産が習慣となっている私にとっては、たまに軽い陣痛位で飛び出したりすると、いかにもその作品に自信が持てないのである。情けないことである。
それで難産で苦しんだ時の絵は必ず上等で、玉の如き子供であるかというに、それが決して左様でもない。ただ妙な関係で絡みついてしまって一と思いに殺してしまうわけにも行かないところのものが生まれりなどするのである。
本当のお産だってそうだ。一年間も親は苦しんだ上、命をかけて産み落とした筈のその子は必ず上等であるとはきまっていない。でも自分達夫婦の分身であり、母親は生命をかけた関係上、実は人間よりも狸に近いものであっても、ふとんや綿で包んで大切にしている。
それをわれわれ他人が、ちょっと綿の中を覗いて見ると、全くの狸であり昆虫であり、魚である場合が多いのだから悲しむべきことである。
ことに不具や低能児を抱いている母親の愛情などはまた格別のものであるらしい。
絵だってその通りで、私は三年間をこの作に捧げたとか、私の霊魂を何とかしたとか、私は神を見たとかいうふれ出しだから、一体どんなものが現れたのかと思って見ると実は狸であったり霊魂が狐であったりする場合の方が多いのだ。
もし本当のことばかりを不作法にいう批評家があって、命をかけて抱いているその赤ん坊を一々おや鯛だね、おや狐でいらっしゃいます、お化けかと思ったというて歩いたら、まったくそれは一日も勤まらないところの仕事であるかも知れない。心ではいもむしだと思っても、そこは女らしいとか、まあかわいいとか、天使のようだとか、何とか、都合のいい賛辞でも呈しておかねばならないものなのである。礼儀だから。
ところで私自身、まったく私は命をかけつつ日々の難産をつづけその奇怪なる昆虫を産み落としつつあるのである。そして人間の情けなさは馬鹿な母親
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