のであった。
大阪地方は言葉そのものも随分違ってはいるが、一番違っているのは言葉の抑揚である。それは東京弁の全く正反対のアクセントを持つ事が多い。上るべき処が下り、下るべき処が上っている。
たとえば「何が」という「な」は東京では上るが大阪は上らない。「くも」のくの音を上げると東京では蜘蛛《くも》となり、大阪では「雲」となる。
大阪の蜘蛛は「く」の字が低く「も」が高く発音されるのである。これは一例に過ぎないがその他無数に反対である。
それで大阪で発祥した処の浄るりを東京人が語ると、本当の浄るりとは聞えない。さわりの部分はまだいいとして言葉に至っては全く変なものに化けている事が多い。浄るりの標準語は何といっても大阪弁である。
従って、大阪人は浄るりさえ語らしておけば一番立派な人に見える。
よほど以前、私は道頓堀《どうとんぼり》で大阪の若い役者によって演じられた三人吉三《さんにんきちざ》を見た事があった。その芸は熱心だったが、せりふの嫌《いや》らしさが今に忘れ得ない。大阪ぼんちが泥棒ごっこをして遊んでいるようだった。見ている間は寒気《さむけ》を感じつづけた。
東京で私は忠臣蔵の茶屋場を見た。役者は全部東京弁で演じていた。従ってその一力《いちりき》楼は、京都でなく両国の川べりであるらしい気がした。しかしそんな事が芝居としては問題にもならず、何かさらさらとして意気な忠臣蔵だと思えただけであった。一力楼は本籍を東京へ移してしまった訳である。
大阪役者が三人吉三をやる時にも、一層の事、本籍を大阪へ移してからやればいいと思う。
もしも、大阪弁を使う弁天小僧や直侍《なおざむらい》が現れたら、随分面白い事だろうと思う。その極《きわ》めて歯切れの悪い、深刻でネチネチとした、粘着力のある気前《きま》えのよくない、慾張りで、しみたれた泥棒が三人生れたりするかも知れない。それならまたそれで一つの存在として見ていられるかと思う。
先ず芝居や歌とかいうものは、言葉の違いからかえって地方色が出て、甚だ面白いというものであるが、日本の現代に生れたわれわれが、日常に使う言葉はあまり地方色の濃厚な事は昔と違って不便であり、あまり喜ばれないのである。
標準語が定められ、読本《とくほん》があり、作文がある今日、相当教養あるものが、何かのあいさつや講演をするのに持って生れた大阪弁をそのまま
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