験した国は世界の中でも珍しいでしょう。
 その急激に変化した時代がその道中で生みつけて行った人間の大部分がこの現代に、まだ生存しています。
 時代による人間の心の変化というものは、まったく不思議なものだと私は思っています。教育や訓戒位のものではどうにもならない力をもって変化するものがあることを感じます。例えば私の親父の心では理解出来ない不思議な差を、私は持って生まれて来たと思います。それは私が小学校で吹き込まれた教育のおかげでも何でもない、私がこの世の空気を初めて吸った時、その空気とともに私の体内へもぐり込んだところのものだと思います。
 それと同じく私と私の子供の心との間にもわけのわからない差があり、私よりも一時代若き人達のあるいは若き画家の心にも理解出来ない新しい心を私は感じます。
 したがってもっとも理解出来やすい心は何といっても同時代、同じ年代生まれのお互い同士の間だけであろうと思います。
 婆さんは婆さん同士、老人は老人同士、娘は娘同士、子供は子供づれ、牛は牛づれと昔からも申します。そして牛は馬のことが理解出来ないが故に尊敬するということは少なく、大概の場合悪く思いがちであります。そして牛は牛の世界が一番よいと思い世の中はことごとく牛らしくせよと申します。馬は馬らしくせよと申します。結局馬にもならず牛ばかりにもならず次へ時代は遷って行きます。
 人間は年を経て次の時代のものに亡ぼされることの嫌さから相当の老年になり、役に立たなくなってしまってからも、なおしつこく子孫へ無理やりに自分の華やかなりし頃の心をたたき込もうとしがちです。しかしながらいかに老人が強いてみましても次に生まれる赤ん坊は、今日も明日も明後日もそれこそ、引切りなしに恐ろしく理解出来ない考えを抱いて押よせてくるのです。この次の時代を極端に怖れるというならば、生まれてくる赤ん坊をことごとく抹殺するよりほか致し方ないでしょう。

 ところでこの日本の現代は左様に異なった種類の人間を含んでいると同時に急激なテンポをもって変化した色々の古道具類を幾重にも混沌と積み重ねております。
 西南戦争の心と日清戦争の心と日露戦争の心と、徳川時代の心と、大正、昭和の心もともに、重なり合い茶室と洋館とお寺とビルディングと高下駄と、お茶屋とカフェーと吉原とダンスホールと、色紙短冊と油絵と、四條派とシュールレアリズムと
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