展覧会を見るに一番から百番までの目録が大部分草花静物であったりすることがある。何のことはないお花の会である。
 静物画はいながらにして出来ることと室内における題材の欠乏と、構図の取捨の勝手が出来る自由さ等によって、どうも嫌味なものが出来やすい。その上に感激性が不足し、必然性を失い、やむを得ず描いた退屈さを現すことが多く、したがっていい静物画ははなはだ少ないものである。
[#地から1字上げ](「みづゑ」昭和五年一月)

   西洋館漫歩

 私の市内散歩に興を添えてくれる一種の建築がある、それは明治の初め頃に建てられたいわゆる西洋館と称せられる処の建物である。それらの建物は概して木造でありペンキが塗られていたり、漆喰《しっくい》であったりして少しも欧洲の古い建築の如き永久的な存在の感じを起させない処の建物ばかりである。でも私たちは子供の時からこれらの西洋館によって外国というものを夢見さされていたものである。ロンドンや巴里《パリ》はこの居留地のような処だとも思っていた。ところでだんだん、どうやらそうでもないらしく思えて来て、とうとう私が巴里へ到着した時、巴里はとても古めかしく荘厳な石の蔵の連続であった。そしてあの居留地の西洋館というものは、ほんのバラックであり、ほんの腰かけのための家である事が判《わか》った。そして川口町の西洋館に似たものはコロンボ、シンガポールにおいて私は見る事が出来た。要するに植民地の西洋館であった訳だといっていいかと思う。
 しかしながら、そこには、簡略ながらも、異人が故郷を思う心から、その建物はバラックではあるがその窓、その屋根、その柱、その玄関にあらゆる異人の伝統と趣味による装飾が施され、異人の伝統から出た色彩が施され、その部屋の内部は日本人にとっては合点の行かない処の構造に仕組まれていたりするので、われわれがそれによって異国と異人の心の奇妙さを感じ、その心を知ろうと思わせられ、日本人の見た事もない地球の裏側の世界を偲《しの》ばしめたのである。
 それらの影響から、日本の県庁や警察署等もまた、木造の西洋館と変じ、当時の異人の手によって建てられたり、あるいは日本の大工によって模造されたりした事と思う。
 それらの西洋風建築は大阪では何んといっても川口町本田あたりの昔の居留地に最も多く、現在もかなり遺《のこ》っている。

 川口町では、旧大阪府庁舎
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