らないものだったが、何かしら絵がうまくなるまじないだから位のつもりで私も相当描いてみたことはあるが、正直なところ一度も面白いものだと思ったことは更になかった。
要するに静物画といっても、林檎ばかり描くべきものでもないので、室内にあるすべてのものあらゆるものが絵の題材として選ばれていいのである。
静物画は、自然さからいえばよほど人工的なものである。一つの画面を作るために風景にあっては樹木を構図上の関係からいろいろと並べてみたり、山を移動させたりすることは出来ない。まずありのままの形において写し、構図は人間の方で多少動いてよろしき位置を定めるのであるが、静物にあっては例えば卓上菜果の図を作るに、それらの題材は自由に画家の希望通り並べかえ取りかえることが出来る。その代りなまじっか、自由が利くところにかえって構図上のむつかしさ[#「むつかしさ」は底本では「むずかしさ」]が起こってくる。ああでもなく、こうでもなく、結局あまり細工をやり過ぎて妙な、嫌味な、不自然なごたごたしたものを製造してしまう。
構図は取捨選択が勝手次第であるが題材はその範囲はなはだ狭いものである。風景画の如く広く自然界に向かう如く無尽蔵な題材は得られない。つまり主として室内における仕事である。座右の何物か以外には描くべき何物もないことさえある。ことに下宿屋の二階の四畳半で暮していたりすると茶色の壁と、チャブ台一ツ、火鉢、本箱でおしまいである。いかにマチスでもこの光景を見ては嘆息するだろう。
止むを得ず林檎とバナナを八百屋から買って来てチャブ台へ並べ、古い風呂敷とタオルをピンで壁へ貼りつけて、カーテンのつもりと見做したりする。
こうも苦労してまで、何も室内に興味を持ち静物画を描かねばならぬ必要は決してないので早く道具を持って郊外へでも走ればいいのである。
静物画はいながらにして絵になる世界を製造し得る便利至極なものであるがために、必然な心の動きからぜひ描きたいと思う場合を除いて、ややもすると不精者の怠け細工に使用されがちである。本当は何か風景でもあるいは人体か何か描いてみたいのだが出るのが億劫であり、金はなし、人体を描くには寒く、ストーブの設備もなし、万止むを得ず風呂敷を壁へピンで貼りつけて、西洋館を夢想しようというのだから生き生きした静物画が出来るわけがなさそうである。
あるいは婦人達の洋画
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