が交って私の心をときめかすだけの役には立ったと思う。

 なお、私の家は、先祖代々|一子相伝《いっしそうでん》である花柳《かりゅう》病専門薬を製造していた。天水香というのは自家製の膏薬《こうやく》の名であり、同時に家の屋号の代用として通用した。よその人は父を天水香はんと呼んだ。
 その頃は薬屋が医者の如く、診察しても構わない時世だった。私の家の店頭は朝から、弁当持参のいろいろの男女の客で埋っていた。彼らは何をしに来ているのか、これも私にはわからなかったが、ただ人間というものは、私の店へ来《きた》って順番に父から妙な場所へ膏薬を貼《は》ってもらうものだと信じていた。
 私はこの膏薬の効能書を丁稚《でっち》と共に大声で鉄道唱歌の如く合唱したものだった。即ち、かんそ、よこね、いんきん、たむし、ようばいそう、きりきず、腫物《はれもの》一切女○○のきずといった具合に。
 その頃、私の通った小学校が島之内の真中にあった。集る処のものは多く、宗右衛門町《そえもんちょう》あたりの芸妓の子、役者の子、仲居の子、商人の子らだった。決して、華族様や政治家や学者の子はいなかった。
 ある役者の子供は、まだ昨夜の白粉を耳のうしろに残したままやって来て、時々胸を開《あ》けて見せたりした。覗《のぞ》いて見ると白粉と交って、紅色の沁みが一面に残っていた。何んでも、殺される役なんだ。
 私は、何か、気味の悪い奴だと思うと同時に、私よりも大分えらい子供かとも思って見た。
 宗右衛門町から通って来る娘で、紺地に白ぬきの上《あが》リ藤《ふじ》下《さが》リ藤《ふじ》の大がらの浴衣《ゆかた》を着たのが私を恍惚《こうこつ》とさせたものだ。それが悩ましいためか何かよくわからないながらも、何しろ大変気にかかってしようがなかった。今にこの浴衣の模様を忘れない処を見ると、随分心に銘じたものと見える。
 記憶といえば妙なもので、小学校、中学校で何か一生懸命に試験勉強したけれども、その辛《つら》かった事だけは覚えているが、さて何を記憶しているかと思うと、悉《ことごと》く忘却してしまっている。しかも忘却してどれだけの不便があるかといえば何事もない。何かの必要上、あれは何世紀の出来事だったかを調べるには、簡単に書物は備っている。訳はない。
 さて私たちの心にこげついて根を一生にのこす処のものは、日常のくだらぬ事ばかりであるとい
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