らあまり動く事を好まなかった国でもある。動く事をむしろ、悪徳の一つであるとさえ教わったものである。静かに静かにというのが大体の方針であったらしい。静観するという言葉がある。
もしも、西洋というものが目の前へ現れなかったら、日本人は今もなお雲助と人力車以上のものを決して望まなかったかも知れない。即ち現代に動いているものの中で日本人の要求によって製造され発明されたものは一つもないといっていい。
全く近代の日本は沈没した潜航艇の如く、ちょっとした穴からあらゆる西洋の動くものが浸入して来た、最初、自動車というものが走り出した時、かなりの人でさえも、不愉快を感じたものであった。砂埃《すなぼこり》と煙を立てて走って行く姿を見てあれは暴君だといってよく怒ったものである。風致を害するともいったものだ。しかしながら如何に静観独居を楽しむ人たちが、雑巾《ぞうきん》やぼろ切れを以て潜航艇の穴を押えつけても、大海の圧力というものは大したものである。とうとう穴の内部は動くもので充満してしまった。しかしまだまだもっと一杯になる事だろう。そして、それらの動くものどもが徳川時代に見られなかった別の新鮮な風景をつくり始めて来た。
先ず動く王様は銀色の姿で空を飛んでいる、地上地下には電車となり、円《えん》タクとなって充満してしまった。私は毎日弁当を持ってこれら動くものの風景を観賞に出て行くにしてはあまりに動くものが多過ぎる。しかし私は、昔、球《たま》ころがしの店先きへ立った時位のうれしさを以《もっ》てあらゆる動くものの速度や形の美しさを眺めている。そしてまた活動写真において、動くものの美しさを感じているのである、それにしては日本のあらゆる動くものや交通機関は巴里《パリ》あたりのそれに比べるとほんとに貧しく穢《きた》ならしく色彩に乏しく、貧乏臭くはあるけれども。
私は巴里のメトロの、さもフランス的な赤色と、青と白との連結された三台の地下電車を思い出す、その内部は全部白きエナメル塗りでありそして乗客の美しさである。あらゆる下層の人たちでさえその整頓《せいとん》した服装がどんなに電車を美しく見せ人を美しく見せている事か知れなかった。私はもしこの美しい電車を大阪や東京の市街を走らせたら、あるいは乗客全部を現代日本の種々雑多な混雑せる服装によって満員せしめたとしたら、如何にこのメトロの動く美しさは消え失
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