をディスティンクトに峻別せねば止まなかつたのである。
人間の心は微妙な複雑な動き方をするものである。生きた心は様々のモチーフやモメントでその調子や方向を変ずる。私は決して善・悪の二つの型を以てそれを測り切らうとするのではない。善と悪とは人の心の内で分ち難く縺れ合つて働く。嘘から出た誠もあれば誠から出た嘘もある。只それらの心の動乱の中を貫き流れて稲妻の如く輝く善が尊いのである。ドストイェフスキーの作などに描かれてゐるやうに、怒りや憎みの裏を愛が流れ、争ひや呪ひの中に純な善が耀くのである。私はそれらの内面の動揺の間に次第に徳を積み、善の姿を知つて行きたい。人生の様々の悲しみや運命を受ける毎に、心の眼を深めて、先きには封じられてゐたものの実相も見えるやうになり、捨てたものをも拾ひ、裁いたものをも赦し、漸く心の中から呪ひを去つて、万人の上に祝福の手を延ばすやうに、博く大きくなりたいのである。魂の内なる善の芽を培うて、「空の鳥来たつてその影に棲む」やうな豊かな大樹となしたいのである。造り主の名によつて凡ての被造物と繋りたいのである。ああ、私は聖者になりたい。(かく願ふことがゆるさるるならば)聖
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