まの場合があって、いちいちの例は涙の煉獄である。キューリー夫人のように自分の最愛の夫であり、唯一の科学の共働者であるものを突然不慮の災難によって奪い去らるる死別もあれば、ただ貧苦のためだけで一家が離散して生きなければならない生別もある。
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姉は島原妹は他国 桜花かや散りぢりに
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 真鍋博士の夫人は遺言して「自分の骨は埋めずに夫の身の側に置いて下さい」といわれたときく。が博士もまた先ごろ亡くなられた。今は二人の骨は一緒に埋められて、一つの墓石となられたであろう。
 それではかようにして別離した者は再び相合うことはないのであろうか。これは人間として断腸の問いである。私は今春、招魂祭の夜の放送を聞いて、しみじみと思ったのである。近代の知性は冷やかに死後の再会というようなことを否定するであろうが、この世界をこのアクチュアルな世界すなわち娑婆世界のみに限るのは絶対の根拠はなく、それがどのような仕組みに構成されているかということは恐らく人知の意表に出るようなことがありはしないか。本居宣長もそういうようなことをいっている。日蓮の手紙には、「霊山にて逢ひまゐらせん」といつも書いてある。ラファエル・フォン・ケーベルやカルル・ヒルティや、内村鑑三らが信じて疑うことができなかったように私たちの地上に別れた霊魂は再び相合うときがあるのではなかろうか。深き別離は実際われわれの霊魂にむくろを残しているのである。私たちは去り行きたる人々のために祈るより他はない気がする。私の夜空を眺めるとき、あの空に散りばめた星と星との背後に透視画的の運命のつながりがあり、それが私たち地上の別れた哀れな人間たちの運命の絆を象徴しているのではあるまいかというようなことも思い浮かべられるのである。
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別るるや夢一とすぢの天の河
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[#地から2字上げ](『婦人公論』一九四二・一〇・所載)



底本:「青春をいかに生きるか」角川文庫、角川書店
   1953(昭和28)年9月30日初版発行
   1967(昭和42)年6月30日43版発行
   1981(昭和56)年7月30日改版25版発行
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2005年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空
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