郎内私宛に電報を打って下さい。私は私の妹(艶子でなくて重子というのです)と二人であなたを迎えに駅に行きます。私はあなたの広島に着きなさる日には三次まで出ていたいと存じますから、あなたは、この手紙の着きしだいハガキでよろしいから、およそ何日に広島に着くかを知らせて下さい。私はあなたと三次のバンホフで会う時の光景を想像して心がおどります。私はもはやわざわざ東京から私にあいに来て下さるほど私を愛して下さるあなたに遠慮はいたしますまい。私の部屋のスナッグでないことも、また町の周囲のあらあらしさも。
 私はただあなたと相見る悦ばしさに溺れさしていただきましょう。私は先日、夕飯後いつもする妹との散歩の時に、あるいはこのような景色はかえってあなたに珍しく興味をひくかもしれないなどと語り合いました。昨年の夏のような静かな池の辺りにいないのは残念ですけれど、それもかえって私のファミリエのなかにあなたを包んだほうがあなたのような方にはよいかもしれないと存じます。私は妹と、あなたが来て下すったら、町はずれの森のなかの沼のほとりやまた一、二里はなれた山のなかの牧場などに一緒に行こうなどと楽しく相談いたしました。それからもしもあなたがこの夏は別にほかの場所で暮らす計画がなく、また東京でなくてはできないような仕事をお持ちでないならば、ずっと永く私の家にいて、そして一緒に上京したらとも思います。あなたは私の家で仕事や読書などのできるように、書物など持っていらしたらいかがですか。私の家はあなたが幾日いらっしても遠慮なような家ではありません。一緒に勉強したり散歩したりして、一と夏を過ごさるるならば、私はどのように幸福だか知れません。けれどそれはもとより無理に勧めるのではなく、あなたの都合でどうでもよろしいのですけれど、私の希望を申しておきますのです。
 あなたは歯が痛むそうですが、不愉快なことでしょう。しかし埋めてもらえば大したことはありませんでしょう。わたしも埋めてからは何のこともありません。
 私は胸のほうも痔のほうもずっとよろしいのですから、あなたが来て下さっても、心細い感を与えるような憂いはありません。安心して、永くいる気で来て下さいまし。ほんとに、遠方から、よく訪ねて来て下さいます。私の母などは、彼女たちの習慣にては、理解のできぬほど厚い友情としてどのように感謝しているかもしれません。本田さんがあなたを訪ねたそうですね。あの人はもとより Kunstsinn のすぐれた人ではありませんけれど、無邪気な、心の明るいよい人だと存じます。愛し導いてあげて下さい。私はこの手紙があなたの出発の前に届くようにと急ぎますから、いろいろな話はお目にかかってからのことにいたします。私はあなたと会うことばかり考えています。今日《きょう》この頃は。
 さらばあなたに安らかな、愉しい汽車の旅を souhaiter いたします。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 七月三日。庄原より)

   初めての説教

 あなたのアドレスを忘れたので手紙を出すことができませんでした。数日前にあなたの愛らしい贈り物が私たちの手に届きました。そして平和と友情とのたのしい悦びを、私たちの胸に運びました。あなたの恵みを感謝をもって受け取ります。そして私の妹がぜひその扇をくれよとねだりますゆえ、この夏のあいだじゅう私が持って、友の好意を十分に受け取った後であなたにあげましょうと約束いたしました。妹もたいへん悦んでいました。まことに嬉しゅうございました。
 久しい間待ちかねていた正夫さんはついに参りました。十日の夕方、私は私の故郷から五里はなれた、私の中学時代を過ごした小さな町なる三次というところまで迎えに出ました。私はプラットホームを、群れをなして出て来る、田舎ものばかりの群衆のなかに、美術家らしい様子をした、帽子をかぶった、正夫さんをすぐ見つけました。そこですぐに涙が出ました。正夫さんは私の手を握りました。私たちはどうしても感傷的にならずにはいられませんでした。それから二人は馬車にのって五里の間を、森や畑のあいだを、お互いの言葉を吸い込むように、よろこび味わいながら、語りつづけて、火のともる頃に私の家の前に着きました。
 その夜、私の家族を紹介したり、町端れの河ばたを妹と三人で散歩したりしました。その時私たちはあなたのことをどれほどお啾《うわ》さし、一緒にいらっしゃるのならいいのにと思ったか知れませんでした。月のない河のほとりの草の闇《やみ》に螢なども飛んでいました。私たちは秋からは上京して、みんな、朝夕、往復することができるたのしさなども語りました。
 私たちはこれから一と月足らずの間は正夫さんと毎日一つ家でたのしく暮らされるのです。ながいあいだ、私をいたわり、はるかなるいのりを送っていてくれた善き友を、このように、朝夕、私のそばに持つことのできるのは、神様の恵みなのでございましょう。私は、正夫さんが私のそばにいてくれるあいだ、私たちのミットレーベンをお守り下さいませと祈りました。私はやはり、バウエルやビュルゲルたちと一緒に、町の小さな教会にまいっていますので。
 昨日《きのう》は、私の部屋に据えてある古いオルガンで、正夫さんは、ほとんど終日、ブラームスや、ベートーヴェンなどをひいてきかせてくれました。また、正夫さんが近頃書いた短篇をいくつか読ませてもらいました。朝、町から十五、六丁はなれた森のなかの沼のほとりを散歩して、ほがらかな小鳥の声をきいたり、虫のたくみな巣をウォッチしたり、そして花を摘んで帰って正夫さんの机の上のコップに插したりしましたのちに、私たちは人生や芸術や宗教や、すべて私たちの、たましいの純なる願いとかなしみについて、互いに訴えたり、はげんだりしました。そして二人が今幸福であるがゆえに、私たち以外の人々の幸福についての、心づかいなどもしました。そしてやはり、人と人とのあいだの自由、自分の幸福を願うことが同時に他人の幸福になるような、メンシュリッヘ、フライハイトに達したい。そしてそれはできないことではないような、気がするゆえに、永く生きていたいなどと申しました。そして私たちは、私たちの今幸福であるように、あなたに今幸福でいてほしくてなりません。謙さん、あなたは今幸福に安らかに暮らしていらっしゃいますか。あなたは、あなたの家庭においてもかなり多くの心配や、弟や妹さんたちのための心づかいなどもあるでしょうね。妹へのお手紙でもそれらは察せられます。けれどそれらの心づかいはあなたの生活に尊い知恵と忍耐との味わいを滲み出させる一つの要素でもございましょう。どうぞ周囲の人々をいたわりつつ、あなたの生活を守って下さいまし、あなたはできれば、一つ勉強して何か書いて、私にも見せて下さい。私はあなたには博い、静かな、あのセザンヌの絵のような、平和な力のあるものが書けるだろうと思って期待しています。
 私は昨晩、町の汚ない教会で、町の人々の前に立って一つの説教をいたしました。その聴衆は田舎のピープルばかりです。そのなかに、正夫さんも来てきいていました。私のいったことは、あまり、理解されなかったようでした。けれど私の話しおえた時に、ひとりの農夫は私に神様のことを熱心に問いました。そして私はその農夫にキリストの生涯や、人間は相愛せねばならぬことと神様の命じなされたことなどを話しました。そして私の心の底にはひとつの満足がございました。昨夜はまた正夫さんと蚊帳《かや》のなかで、十二時頃まで眠らずに語りました。私はいかに長い間友なくして、自分の感情を胸のなかにおさめておかねばならなかったでしょう。そして正夫さんのように、私を信愛してくれるよき友と語り、訴えることは私には久しい間ゆるされなかったところの幸福でした、私は私たちの幸福の上に送って下さるあなたの祝福を待ち望みます。そしてそれはあなたのお心に適うことを信じています。
 あなたの御近状をお知らせ下さいまし。また書きます。今日は雨が降っています。私があなたにたよりを書き、艶子は読書し、正夫さんはダンテの「新生」の翻訳しています。雨があがれば、近日中に、町から一、二里ばかり隔った、牧場に行く気でいます。
[#地から2字上げ](久保謙氏宛 七月十二日。庄原より)

   被造物としての知恵と徳とを求めて

 坂手島でのたのしい健康な生活を終えて四十幾日ぶりにお母《かあ》さんの家にお帰りになされ、このたびは静かな心持ちで家のなかにも安住でき、家族の人々にも温かいこころを感じていらっしゃいますと聞いて私もやや安心いたしました。感じの強い人には共同生活はなかなか気苦労なものですのに、あなたのお宅は人と人との結びつかりがそんなにしみじみと濡れた愛でなりたっているわけでもないのですから、あなたのような方にはずいぶん居心地のわるいこともおありなさるのは十分に察せられます。けれどやはり私の申すまでもなく耐え忍んで調和をはかり愛で包むように努力するのが最も強い、博い、そして知恵のある仕方なのでしょうね。私はあなたがさまざまな 〔ungu:nstig〕 な境遇のなかで、かくも研究や仕事に精出しなされ、またまっすぐな心を保ち、また人生のあらゆるよきものをかりそめに逃すまいと種々な方面に注意を払いなさるのをまことにお強い尊いことに存じます。願わくばたゆまぬ努力と忍耐とをもってあなたの未来を開拓して下さい。私はあなたの将来を祝福します。そしてそこには幸福と成就とが待っているように思われるのです。あなたなどは、最もいろいろな意味で、プロミッシングな方だとおもいます。
 庄原にいらっしゃいました二十日間は、土地がつまらないのに、私はからだは弱し、何もかも心に任せぬことばかりで、あなたのお立ちなさった後でも、私はそのことが気にかかってなりませんでしたけれど、あなたのようにおっしゃっていただけば、私はまことに安心し、どんなに嬉しいかわかりません。またあなたは私の持ってるよき部分を理解して下さって、私を愛し、私との今後の交わりに大きな期待をおいて下さいます。私はまったく、それに相当しているとは思われませんけれどでもそうしていただくことはどんなに心強い、嬉しいことかわかりません。私はあなたの博い知識から私に入用なものを与えられ、またことにさまざまな verfeinern された、エステティシュな感情や趣味を教えられ、どれほどためになるかも知れませんのに、私はほとんど何ものをもあなたに与えることはできません。けれど人間と人間との交わりの契機はタレントではなくて、愛だと思いますから、こうして交わっている間には少しはあなたによき Vertu を及ぼすこともできるかもしれないと思います。
 私はこれまでの人と人との接触を重大な問題として暮らしてきました。そして幾度もつまずいた苦い経験を持っています。そのために私はいかにせば、私たちは、地上のものとして、よきコンスタントな交わりができるかということについて知恵が育つようになりました。私は、私たちの、人間としてのさだめを知ってのうえで、すなわち互いに救い取る力のないこと、完全には理解し合う知恵を持たぬこと、まったき愛を献げようと願いつつもなお自らのエゴイズムの根をもてあましつつあることなどを嘆きつつ、まったき交わりの理想に向かって憧憬《どうけい》しながら、赦し合って交わりつづけて行かねばならぬと存じます。互いを憐れむ、隣人の愛の基礎の上に友としてのスイートな接触をも要求せねばならぬと存じます。私はそのように用意したうえで、心をつくしてあなたを愛し、また赦しを期待してわがままをもさせてもらおうと存じます。私はあなたが「考えることよりも行なうことにおいて弱い」ことなども認めてそして許します。また私の数多き欠点をも赦していただき、お互いに未来に期待を持ち、尊敬と祝福を寄せたいと存じます。私は教会で集まりの終わり頃に、みな立って「主の祈り」を一緒にいのる時、「われらに罪を犯すものをわれ赦すごとく、我らの罪をも赦し給え」というところになるといつでも涙
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